2015-01-01から1年間の記事一覧
寒くて辛い時季だ。 が、落ち葉という愉しみがある。 踏み締めて歩くとき、いい音が聴こえて来る、音が視えて来るのだった。 子どものころからの悦びでもある。 壊れていく落ち葉は、土へ帰りやすくなっていく。
彼は言う、「完璧はないです」。 「完全にだめということもないです」とも。 つまり、「じっくり見定めることが大切なのです」。 「生命は力強いと自らに言い聴かせ、思い聴かせ、自信とともに流れに乗るといい」
彼は言う。 「威張る人は可哀想です、哀れですね」 そうして、「苦しい状況を脱するには外に自分を出さないこと」と。 「全体を見通すように動くことが大切」とも。 軽挙妄動は厳禁でなく、慎むべしというのだ。
彼はゆっくりと話す。 「たえず、笑みを浮かべているのは、自己防衛です」 「敵を作らないための」と穏やかに、かつ飛び切りの笑顔で言うのだった。 「それに、しかめっ面ですと、それだけで敵対視されますから」
卆寿を迎えた方にお話をうかがう。 「健康の極意ねえ」としばし考え込み、こう語った。 「やはり、臆病者だからよかったのかな」 小心とも言うのだった。 無理や無茶、さらに無謀をできるだけ避けてきたのだと。
あの空爆、そこの戦争、あそこの犯罪、この諍い。 狂気の一言で済ませられたら、どれほどよかったか。 変革の壁という事実も、病と言い切れればよかったのに。 理想の敵が実は理想だったという、どんでん返しも。
年寄りは立たされたままだった。 バケツは持っていなかったが、肩で息をしている。 彼が席を奪うように座ったのだ。 そうして、始めたのが小さな画面でのゲーム。 「こんな奴と、ふいの爆撃を受けたくないよな」
自分で自分を褒めてあげる? ケチ臭いな。 むしろ、自分に感謝されるほうへ歩むべし。 そう想っていた矢先、エリートスポーツマンが同様のことを。 違うんだよ、成功者と失敗の日々を歩む者とでは感謝の仕方が。
今、身近にいる者たちに伝えたいこと。 生きていく愉悦に関してか。 それ以上でも以下でもなし? そうしたメッセージは、身体から滲むものだ。 要は、解放感と安心感にまず、己が包まれないといけないのだった。
人は誤解してもいいのだ。 無論、いつか解かれる準備は必要だが。 人が間違えることを軽蔑してもいけないだろう。 ミスをする契機を奪ってはならないのだ。 ただし、致命的ボタンを押されても困るのではあるが。
愛らしい牛がのんびりと牧場に。 その後、食肉になっていく映像を視て、食欲を失う。 人が殺される映像とも、普通に出遭う 兵器の輸出入をどうしてできようか。 体感中だ、人間は進化していない、進歩さえも。
始まったところで終わる領域がある。 終わったところで始まる領域も。 明確な区分けは難しいもの。 その両者が一気に押し寄せて来る場合もあるのだ。 戦前と戦中、戦後の三位一体状況の中で、深呼吸をしてゆく。
「あきらめるんだ、あきらめ切れないと」 そう、眼の男は記した。 「あきらめない、あきらめることを」という場所との距離。 願いをあきらめてきた、あきらめないでもきた。 今は正月を無事、迎えたいだけだが。
犬と暮らしたい。 年齢を想えば、最後のチャンス? 犬のほうが長生きすれば、申しわけないものな。 事実、長寿犬は増加している。 もっとも、集合住宅で暮らしているため、犬とは暮らせず、ひどく寂しいままだ。
彼は立ち止まる、壁の前で。 「実は、壁の中だろうかとも想うんだ」 空を見上げるばかりでは、「首が痛くなるばかり」と苦笑。 「このままいけば、誰かを殺しそうだよ」 傷ついているのは高齢者も同様なのだと。
仲よくなれば足裏をくすぐる、あるいは、くすぐれば仲良くなる。 ガキのころの身体学習? いや、人の人たる由縁の遊び。 柔らかくて手触りがよく、冷たい足裏。 佳き1日は、教養で形成されているわけではない。
電車の中、彼は窓際にいた。 携帯を背広の内ポケットから取り出し、小さな声で名乗る。 そうして、窓の外へ亡羊と視線を放り、「そうですか」と。 明らかに肩が落ちていた。 駅に到着し、彼は茫然と下りていく。
どうしても、スクッと立てないときがある。 左にぶれたり、右に傾いたり。 要は、身体の中で走るものがないのだ。 教えを守り、あれこれ工夫するが、できない。 そのくせ、できるときは、ふいに訪れるのだった。
「鬱々として当たり前さ」 年老いた彼は言う。 「そうならないほうがおかしかないか、逆に狂ってないか」 完璧な鬱に入ってしまわないために鬱々としたほうがいいとも。 免疫力を高めるからとも言いたげであった。
見本を手本とするまでには、刻苦勉励を。 が、たった今、休日と決めた。 少しは箸休めをして、深い呼吸も。 たとえ気休めにしろ、大切なことだ。 骨休めまで行くには、まだまだ休ませないといけないことがあるが。
どんどん接し続ければ、もらすばかり。 いや、薄くなっていくばかり。 とはいえ、この状況だ。 胸式呼吸で起き出し、腹式呼吸で眠りにつこう。 意識して息を吐けば、自然に大切なものは入ってくると、思い込む。
日増しに破滅へ向かっていく感覚が。 が、必ず再生の道は出来てくるだろう。 そうでなければ、すべての人々が消えてしまうのだから。 究極の楽観も悪くない。 アクビをしたければすればいいさ、ただし、独りで。
病に克つという姿勢。 確かに、呑み込まれたくはない。 焦らず、悔やまず、諦めず、治す過程で、体・心・脳の関係を問い質すのだ。 が、人は、死す。 だからだ、克つのではなく、負けない姿勢を醸成したいのだと。
重さや暗さ、軽さや明るさ――。 重さを軽く見せた古典的な芸。 いつしか暗さを軽く見せる時代へと。 が、重さを明るく開示することこそを。 が、過度に明るくすれば眼球を傷めるだけだもの、按配が大切なのだ。
親しい人が帰ってくる場所を確保しておきたかった。 遠く離れた人を庇うとか、守るとかではなく。 そも、できるわけもなし。 ただただ、単に再会したかった。 いつしか笑みが浮かべば、それだけでもういいのだ。
会社役員や中退者、主義者もいた。 1年に1度の宴、定年退職者たちを主にした忘年会だ。 今や争うこともなく、いい老いの湯加減か。 いつ死ぬか分からぬという湯冷めの心配も。 が、「ここまで来たんだなあ」。
100冊の本に囲まれる暮らしを想う。 狭い住居が広くなるだろう。 3日に1冊程度、馴染みの本を読む日々。 幾度か読んでいるので、記憶には残っている。 しかも、毎回発見のある本と呼吸していくという希望。
原始人の如く飢える事態。 古代人の如く文字を求め、中世人の如く国から虐げられる場合も。 近世人の如く分散を求め、近代人の如く鉄に打たれるときもあるだろう。 まるで現代人のように世界大戦へ向かう今――。
送受信できる機器は発達、わが家にさえ。 が、気づかぬうちに、すさむことがありはしまいか。 言葉を、静かに心温まるまで交わし合う宴を想う。 静かに行く者こそ健やかだ。 故に思わぬ遠くまで行けるのだろう。
考えたことを美味しい果実のように並べ直した言葉、詩歌。 が、それだけでは食べたくはならない、いただけない。 置き方もある。 が、食べられない部分があってこそ頬張りたい。 歯が立たなければ、なお愛しい?