2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧
食事が美味しくて、存分に愉しめる。 排泄は、いとも簡単だ。 楽に寝付けて、おまけに自然に目覚められる。 何より景色を堪能しつつの歩行にしろ可能なのだ。 御大層な人生の意味は、意味がないかの如くである。
自ら進んで行う。 成功とは関係なく、淡々と、少しだけ先を読みつつ。 そうすれば、生き生きと? 打ち込める対象、つまりは幸運があればよし。 生憎の天気であれ、口笛の一つも出て来るときさえあるさ、きっと。
ネイティブ・アメリカン曰く。 「母を売り買いするだろうか。しかるに今や母なる大地は売買の対象」 事態は地続きで推移。 母は今や換金できないほどに汚染されてしまった。 朝、この無神論者も合掌から開始を。
効く薬ではない。 しかも、暖かくないし、美味しくもない上に、清涼な風・空気でもない。 そうしたグルリ? ふらふらしている、いや、ふらふらさせられているだけだとしても歩いていく。 歩き抜けないとしても。
死の恐怖は、直面していないから生まれるという。 戦地では、ものを考えられないのだから。 むしろ死を賭した行為が快楽になるとも。 興奮し、高揚して、ときに大笑いさえ。 さすれば、今・ここが戦地だとでも?
働く人々は早朝から動き出す。 人を抜くのが厄介なのだろう、道路を走り抜いていく人も。 「危ねえなあ」 満員電車で座れたときの、安堵した顔を視たことがおありか? 小さな幸運を携え、何とか生きている姿を。
身心に悪影響をおよぼす心根がある。 例えば陰気や悲嘆、絶望。 ときに、思いやりや親切、哀れみが災いするときも。 もっとも、すべて反転する場合もある。 何より窮屈なのがいけない、緊張こそ解いていきたい。
人が集まれば、想うようにはいかぬもの。 試練の日々さ、どうしたって。 ただ、それじゃあ、辛いだろ? だからさ、遊びとしての修業・修行に変えていくんだ。 良心に連なる方向で歩んでいけたらと、念じつつも。
人がどんどんすれていく。 悪くなっていくのとは違うはずだが、同じ様相か。 そうした折の生きたいという願い。 そうして、つい、グルリの幸を求めてしまう気持ちも。 与えるとは何か、今も分からないまま――。
最近のこと。 労働以外の予定を入れられないことが続く。 持ち合わせの問題がまずある。 それもさることながら、体調の予測がつかないことも遠因。 何より、「そんな先のことなんて」と体感してしまうのだった。
いやはや、上下か。 しかも、高低も問われている。 その上、大小も重要だとか。 いや、そのね、叫ぼうとか、ののしりたいとか、破裂しそうだとか言いたいわけではない。 ただただ、沈殿していくものが重い時季。
顔は実に不思議だ。 見詰めれば寄ってくるときもあれば、逃げる場合も。 概ね疎ましがられるだろうが? そのくせ、訴えても来て、あらためて、「よくできたものだ」と。 シミ・シワのそれを抱え、今日も歩いていく。
この世で発生する問題。 労働に貨幣、健康に人間関係等にまつわることだ。 厄介なのは混然一体となっている点。 しかも、自分だけで解決できないのである。 貢献には手が出ないが、忘れなくてもいい文脈だろう。
簡単だ、人柄を見抜くのは。 どこかの女将が言った如く小さな権力を持たせること。 人品骨柄が現れる。 清潔な印象の元大統領が人気なのは対極の輩が多いから。 力を持てば持つほど、消すべきものは増えるのに。
生きて行こうと人を切る。 人間を捨てたのだと理解できる。 中には他者の不幸が好きだという在り様も。 単純に苦手だが、それこそ底なしの不幸へ向かうときも。 結局、内輪もめに夢中の、昔からの国民性なのだ。
放射性廃棄物はどこに捨てる? 増える、増える、減ることなく、増えていくばかり。 悩んでいる間にも、結論が出ない間にも。 そうした折にも、外国から旅行者たちが。 世界のゴミ捨て場となる前に、ひと目でも?
ゴミを捨てても新たなゴミは出てくるもの。 新たなゴミ、ゴミ、塵芥。 ゴミにしない方法を発明するしかない? 昔、買い物をしても今ほどゴミは出なかった。 自分がゴミ扱いされないようにすることが先決だって?
便利ばかりを望み、屈託がない。 しかも、関心は儲けることばかり。 その挙句の老後の破綻? が、「まだいいさ、少しはいい想いをしたんだから」の声。 今や下々は、上から降って来る人々に追いやられるばかり?
出口なし、入口も視えない土壇場で自分を支えるものとは? ヴィジョンへ歩む人の後ろ姿か。 では、大事なこととは? 自然と伸びてくる、やわらかい手だろうか。 支えてくれる大事なものは、やはり人なのである。
難なく進む労働。 システムができていたからこそ、進捗可能なのである。 当たり前に享受しているが、できるまでに至る刻苦勉励に目をつぶるわけにはいかない。 が、生き延びられないのなら、即、投げ捨てるべきだ。
していることは次のこと。 座る、食べる、排泄する、寝る、立つ、歩く。 身体はといえば、真っ直ぐか捻る、反るか屈む。 たったそれだけなのに、動きはたくさんあるかのよう。 何より、祈ることの豊穣さよ――。
押しのけるケースは否が応でも目立つ。 が、押しのけない場合ではどうか。 場所を専有化、つまり押しのけている? 定住志向の農業が自然破壊の始まりであることに似て。 「もっと移動を」、そう呟くときがある。
亡き母が涙するのを嫌がった時期がある。 ちょっとした善意にでさえ、もらい泣きをしていたのだ。 時は流れ、わたし自身も同様か。 小さな親切にでさえ、驚く始末だ。 無防備、そうして無警戒になってしまった。
何もない空間、原っぱ。 与えられる場所ではない。 むしろ、自分たちで遊びを生み出していくのだ。 歌う、紙飛行機を飛ばす、火を使う――。 身体が望むことが生まれていく場所で、空を眺めながら昼寝の休日を。
握手するなら上からの力と袂を分かつ文脈。 「つき合ってられっかよ」という憤りとなら、つき合える。 断られたら? いずれ出逢うさ、だから、「あいよ」と軽く応じるさ。 そうしていずれ、つき合っていくんだ。
恵まれていることの幸運。 が、そのことに傷ついてきた人々もいる。 戦争があればいいというものでもないけれど? 当たり前だ、金輪際、ご免のはずだ。 いつだって安心はできない事態が続く、まるで永遠の如く?
惹き付けられる、たった1つの場所に立つ。 カメラを手にして。 千、いや、万もの、違った写真を撮ることができるだろう。 いいや、数え切れないほど? 上手くいけば、鳥の囀りや木々の対話も写っているだろう。
そうだ、読みたいものがある。 頭にしみて来るのは、もちろんさ。 自分のどこにあるのか分からない心にも、響かせて欲しいな。 ともに、じんわりと。 そうして、下半身を直撃、想わず席を立ち上がるような言葉。
あなたは、自ら移動はしない。 が、実は、大らかに活動を。 眠って、起き、食す流儀は、人々と違うけれど。 地上との対話を、不断にしてもいるのだろう。 あなたと出逢うために、わたしはいつでも、歩いていく。
CMを挟み、前に視た場面から放映し直すテレビ番組。 あざとい乞うご期待主義だ。 面倒になるばかりだよ。 静かにじっくりと愉しませ、向上に結びつけてもいいのに。 いっそ何も映さないほうがよかったりして。