2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
産まれるとき人の手を借りたはずだ。 記憶にないが。 死ぬときも、手どころか、あれこれ借りるのだ。 そうして逝くのだから、借金を踏み倒すのと同じ? いや、生きている間だってさ。 だからさ、できることを。NHKスペシャル ふたりの贖罪 [DVD]出版社/メー…
結果がついてくればいいものの、いざとなれば気にしない。 過程の努力自体が解放と思い切ってしまう。 あきらめを強引に味つけとして。 そう巧くいくかね? いくわけもないが、仕方がないじゃあないか、現実だ。
優劣はないほうがいいが、相変わらずの優劣、競い合い。 いっそ優劣があっても笑い合える関係こそをと。 今もなお求められているのではとも。 土寄せ後の大雨でダメになる野菜もあるのだ。 下手な細工は入らぬ。
死はストレス。 が、死なないこともまた、ストレスだ。 永遠に生き続けるとしたら、この上なき恐怖? ただ、「ご安心を、人は確実に死ぬ」と言われても。 夕暮れを迎え、死の準備をするほどには至ってはいない。
最初に制すれば後はよし。 喧嘩の要諦ではない。 不安を取り除ければ、忘れられれば、無視できれば、何とかなると体感を。 子どもたちがプールで騒いでいたときのことだ。 泳ぎを覚えるのが早い子がいたのだった。
まず正直であること。 そうして、助け合っていくのである。 きれいごと? そうかもな、気色が悪くなるほどの。 そも、殺人で恍惚となる阿呆も。 でもなあ、それじゃあ、生きていても愉快にはなれないと体感を。
したいこと、すべきこと、せざるを得ないこと――。 気づけば、熱心にしているものである。 いや、自然にか。 自刃とは無縁でいきたいものなのだ。 が、生きていくとは、壊滅と表裏一体のことなのかも知れない。
目標は高いほうがいい、迷惑でない限り。 が、目標はやはり低いほうがいい。 高くても、妙になるばかりだ。 そのくせ、努力は必要であるし、諦めることもない。 無論、努力しないといけないわけでもないだろう。
何故人は生まれてきた? それを知るために、人類は誕生した? あはは、実は分かるはずもなし? いっそ、歌うために生まれてきたとでも規定してみようか。 歌うのだ、永遠に向かってではなく、今の今に向かって。
人というより、相手との関係性で、態度を変える御仁。 「おいおい」 そうは想うものの、わたしにも似た場面はあるのだろう。 どう想われようが、自分に言いわけをすることはない。 それぐらいは、親しいはずだ。
音盤が今や、世界中にめちゃくちゃあることも手伝っているのだろう。 昔の盤も、新盤も等価値のようだ。 が、今、フィットし、よいと感じれば、今の音楽なのである。 当たり前のことだ。 が、あらためて体感を。
大それたことは望んでいない。 生きているだけでいいのだった。 ときに憂うつになるが、小さなことで回復するときも。 広い風呂で脚を伸ばし、手で顔に湯を運び当てれば想わず唸る。 湯に浸かるいい頃合いだな。
生きるために食べる日々か。 「食べるために生きる」という人もいた。 食べることが生きること、生きることは食べることと想う場合もあるだろう。 ともあれ、食べている、いく。 命を、いや、死体をありがたく。
経済の下僕、政治。 文化に芸術もまた、似たようなものか。 宗教に友愛でさえ、経済の最前線。 だからこそ、そう、だからこその疑問符、このままでいいはずがないじゃあないかと。 今日も人が倒れていくばかり。
いっそ、損得だけで暮らせたら楽? あきらめられない、されどあきらめるしかないことばかり。 哀れで惨め、霞んで行くばかりの日々。 が、後悔できるうちはまだいい? 後悔というバネとまでは、言えないのだが。
木の根は視えない。 が、確かにあるのだ。 そのくせ、根が腐っているか素人に判断できぬ。 だからといって、用心深いばかりでは、木々と接することも遠くなってしまうだろう。 どうしたものか、何を言えるのか。
頑張れば頑張るほど、迷惑な人がいるにはいる。 手助けさえしたくなくなるケースだ。 頑張っているから反省もしないのである。 余談だが、嘘か真か、禁煙のストレスが癌を招くとか。 愉快になれる工夫こそをと。
死刑には反対だ。 為政者より遥か低い場所にいるから分かること。 見ようとしないとな、2人の一騎打ちとやらを。 結果は絞首刑か電気椅子の時世? 昔なら死刑に値する嘘つきな輩たちを放置しておいていいのか。
野垂れ死にとの言葉をよく聴いたし読んだ。 が、実は近隣への感染症の温床となり、いけないことなのだとか。 最近になって知ってしまったのだ。 となれば、やはり、野垂れ生きだなと。 なあんだ、このままかあ?
在宅での多職種連携が示唆されている。 とはいえ、高齢者は、家の中へ多くの方々が入ることをを嫌がるものだ。 そも、面倒だろう。 加齢とともに、もてなしは大変になっていくばかりなのだ。 何がおもてなしだ。
しっかりと食べているのか。 いい仲間はいるのかな。 周囲に嫌な奴ぐらいいるだろうが、そうした奴だけにはなるなよ。 嘘や隠蔽、はぐらかしなんてするな。 根拠はないが、生きるに値することと出逢えるはずさ。
今夏65歳、高齢者になることができた。 普通なら、孫と遊んでいる? あはは、普通はないし、そも、まだ働かないといけない。 これまた、残念な人生か。 我ながら、天気予報に一喜一憂している場合ではないなと。
いつ死んでもいいとは感じない。 「死んでも仕方ねえよ」と考えるだけか。 そも、いつまで生きていたいのか。 分かるわけもなし? 「生きている間中、生きていられたらなあ」とは高校生のころから体感してきた。
反省をしない輩。 不満の正体を周囲のせいにして、勝手にイライラと。 ついには、「間違ってどこが悪い」と居直る始末だ。 そうした輩が現実にいるのである。 週末だ、苛立ちに感染しないためにも、腹に笑みを。
本における情報量の多さ。 生き延びるための言葉についてなのだが。 細切れの、決して大切な場所へは行けないのに、錯覚させるウェブ。 無論、今や本も同様なのだが。 読む場所や時間、何より読み方なのだろう。
突然の豪雨に打たれてしまった。 為政者は気に入らないし、怒りを果てしなく覚えもする。 流行り唄を愉しむこともなくなった。 たださ、ふと踊り出すことは失いたくない。 ステップなんか、滅茶苦茶でいいんだ。
外側ばかりに目を向ける。 豊かさは内側にあるのだが。 が、内側ばかりでは空っぽさにも気づけないだろう。 外側と内側の淡く濃い領域も大切なのであるが。 すでにして全体を感受していることに気づけ、わたし。
毎朝、便を視るといいそうだ。 病を早期に発見できるからである。 形に色、重さに長さ、あるいは固さ、太さもまた、ポイントという。 とはいえ、なかなかできることではないなと。 そのうち慣れるといいのだが。
戦争に道路、貨幣。 一事が万事、そうしたあたりか。 平和に道、交歓を装ってはいるが。 愉しくはないし、嬉しくもない上に悲しく、寂しいものだ。 台無しになっていく日々に、ポケットから手を出し歩いていく。
加齢とともに、骨が弱くなる。 カルシウムの不足や、ホルモンのバランスが問題という。 が、衝撃の不足も災いを招くという。 それにしても、どの程度の刺激がいいというのか。 身体に尋ねつつも、歩き出す日々。