2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧
見えないものは、見えないままでいいときもあるよ。 身体で感じ取れないとき、つい見ようとしてしまうものなんだ。 寒い日、ほら、窓ガラスから部屋に日差しが。 お日様のほうを見なくても、とろけてくるだろう?
決意することもなく、立ち上がることはできる。 普段から、自分の中にいくつもの関係を編んでいれば。 自立とは、そういうことと思ってきた。 動物を自覚できる人間が居着いているだけでも、随分違うものなんだ。
終わっても、すでに始まっている労働。 土砂降りの雨の中、雨乞いをしている? 喜びは束の間、憂いは続く。 貧しき心はどれも似ているが、豊かな心はいくつも表情を持つもの。 さて、熱いお茶を入れるとしよう。
北風は上着を脱がせられなかったね。 もし太陽が出なかったら? 歩き出せばいい。 金銭事情から一晩中、北国のトンネルで跳ねていた友人もいたが、いい話だろ。 教訓になっていない? 現実から学ぶんだ(笑)。
自分・じぶん・ジブンの輩は気にするなよ。 お前の尻に火をつけたほうがマシさ。 単に疎外されているだけなのに、上昇の別名の夢に盲進、成功したと錯覚できるなんて…。 生涯お前のすることではないよ、断じて。
人は、たった1人であるわけがない――。 強く感じる、たった1つの綱領。 後は2つか3つ、確かな思いがあれば、 今の俺には十二分だ。
死は怖くない――。 大切な人々と離別してきて、贈り物となった教えだよ。 覚えておくといい。 そう、死に際にも挨拶をしようか。 離れていても、いつも身近にいるお前と。 夜毎の「おやすみ」は、練習問題さ。
脅かすわけではないが、元気に暮らしていないと、しっかり死ねないらしいよ。 本当かな。 ただ、死の瞬間、多幸感に包まれる物質が脳に発生するらしいんだ。 楽しみではないが、最後のご褒美はどんなだろうね。
ほら、原っぱで走るお前の仲間たち。 自信があってもなくても、 したいとき、するべきとき、せざるを得ないときはしているものさ。 夜には寝息を立て、遠くの小川のせせらぎと合奏か。 ほら、観客席には秋雲も。
お前に我慢して欲しいとき、俺も堪えている。 耐えるという親和力へのもう1つのコース。 やむにやまれぬ垂直性もいいが、 身につけるんだ、待つことの明るい清々しさも。 心地よく吹いている間の、北風の伝言さ。
えっ? 一生に1度しか排泄できないとしたら? 朝から豪華な食事でお祝い? 考えただけでワクワク? 便秘のおばあちゃんは、「今日がその日ならいいのに…」? いいからいいから、もう行ったの? ト・イ・レ。
原っぱには出し物がないのに、人々は集うよ。 暮らしの成立を願い、深い場所へ届く呼吸を重ねようとする営み。 希望への地表図を描いているんだね。 気づいただろ、大切な思いは、やはり身体のほうから訪れると。
いずれ別れるけれど、今はここにいるだけで、笑いが生まれる。 わたしはわたしのような父親でしかないが、 すぐに馴染め、覚えやすい唄のような暮らしはいいよね。 手袋には早いから、手をさすり温めてあげるさ。
親は子を抱きしめるべきというが、 なあに、俺は、触り・触られたいだけ。 撫で、背負い、何より尊んでいるよ。 お前には、昔、何処かで出会った人々の面影や、 懐かしい場所の名残さえも嗅ぐことができるんだ。
無関心をなじるつもりはない、蒙を啓く高い位置こそ嫌だな。 その根底に張りつくシニシズム感染症、イロニー貧血症。 あられもなく懸命に生き、事態を好転できぬ人々の微笑──。 お前の足もとを照らす光源だよ。
命を守る仕事は、尊敬・感動を呼び覚ます物語の対象だね。 ただ、忘れてならないのがお前の母親、 善悪や美醜、損得などでなく、 生きることだけを願い、見逃してくれる存在。 どれほど命が守られてきたことか。
黒人問題ではなく白人問題。 子ども問題ではなく大人問題。 中国問題ではなく日本の大問題。 「いっそ戦争を」の声が幻聴ならいいが…。 戦前・戦中・戦後が同時進行の状況下、新たな戦に行くさ? 俺は御免だ。
死ぬ前には歩行ができなくなり、食欲不振・排泄不全などにも――。 本を閉じ、「当然さ。意識混濁も含め、死は身体の領域」と。 初めて降りた駅で大きなアクビをし、動物の身体を実感しながら、秋雲を眺めていた。
人のことを、とやかく言い募る暇はなかった。 甘く見られたいだけ、コケにされるのでもいい。 分かっているんだ、道を尋ねるにあたり尋ね方があるということを、 いっときではなく、生涯の恥があるということも。
衣食足りているだろうに、濁った空虚さが臭ってくる。 奇妙に気になるが、耐えられぬ腐臭がしてくるんだ。 どうしたわけか、虹の如きものもうかがえる。 知っているさ、乱反射だと。 瞬時に潜り、やり過ごすさ。
ゆったりと座り腰を立て、腹式呼吸をしてごらん。 楽になれるはずだよ。 そうでないなら、「暮らしを変えなさい」というメッセージ。 変革しなければならない世界の領域が分かる場合も。 まずは座ってみようか。
プールの脱衣場、3人の男の子たち。 小さな子が、大きい子を指差す。 「こいつ、すげえぜ」 「どうさ?」と、背丈が真ん中の子。 「ホントに怒るとさ、やさしくなるんだ」 ひと呼吸置き、「なれるんだよ」。
まあ、あれだわな、ほれ、なんてったっけ、う〜ん、まっ、あれだよ、あれ、なんちゅうか、ようするにだ、とどのつまりは、ほら、あれだわな、つまりさ、とどのつまりが、まずのはなしがだ、ゲンキか? ガンバレよ!
テレビに出たい不思議な人々がいるんだね。 野暮なおふざけか、おふざけの野暮。 稽古はもう、究めることではない、そも、成立していないんだ。 間を慕う方々もいなくなってゆくよ。 そう、テレビは消すものさ。
お前は、新しい楽器で古い唄も歌っている。 俺は、古い楽器に新しい弦をはるところからだ。 奏でて楽しむ音は、別に交差しなくてもいいさ。 ただ、身体全体で浴びるようにしようか。 対話の基本? そうなんだ。
孤独と分かっても、声をかけてはならない場合がある。 独りきりで耐えていくべきだから。 自分が自分に対してでさえ、歩み寄ってはいけないんだ。 自立の根が伸びていくことを臆しつつ待っている、歓迎しながら。
万が一、正義を口にする機会があれば、 自然と声低く、 ゆったり話すといい。 絶望から希望へと歩を進める際、慌てて疾走、 ぬかるみに気づかず転ぶことは、よくあるんだよ。 再起不能になる場合さえあるんだ。
夜の電車、目の前の空席に仕事帰りの中年女性がやって来た。 座してすぐ、頭は後方へ倒れ口が開き、眠り出す。 「お疲れ様」以外の言葉が思い浮かぶはずもない。 わたしも目を瞑り、意識を、現在を手放してゆく。
長いエスカレーター昇りでのこと。 口もきかず、前にいた見知らぬ子の名前が分かってしまう。 女の子はその日、動物園で観たゾウを指で描き、 終えてサインをしたのだった。 父の背中という硬くて広い画用紙に。
いつか、「懐かしいなあ」と心温め、思い出せるだろうか。 今を。 連れ合いとわたしが、父母との日々を思い出すように。 もう両親がいない世界で、記憶という故郷に帰還し、 お前は安らぎを得られるだろうか。