2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧
いやはや素晴らしい作品の徹底的くだらなさだ。 美しくて訴えて来るものがあり、感銘さえする。 が、ついに関係がないのだ。 歩行とも、排泄とも、病とも、ましてや現在とも。 今、そこにある遠いマネーの如く。
年をとれば、下り坂をいかに下りて行くかが肝心との言。 「そうかもなあ」 が、実際のところ、下り坂に差し掛かり、まだ上る場合だってある。 山に入る人なら分かるはずだ。 比喩としての山は現実の場合もある。
愉しみなんかなくてもいい。 まずの話、とにかくだ、暮らしていこう。 静かに心へ届く月が浮かんでいるだけで、十二分じゃあないのか。 もっとも寒いのはごめんだ。 踏み潰すように押し寄せて来るものも、また。
ふいに耳をつんざく声が。 実は子どもが泣き叫んでいたのだ。 「ママ、行かないで、あたしが悪かった、いけなかったんだよお」 母親は、子に背を向けて歩き出していた。 手元の小さな画面に夢中となりながらも。
彼女はコーヒーを一口だけ飲む。 そうして、カップをテーブルに置く。 その折、麻痺した左手をしなやかに庇う。 身体を静かに叱咤するかの如く振る舞い、こう言った。 「もう1人の自分が生まれ始めているのよ」
「褒めて育てたほうがいいよな」 すると、彼は、「違うな、認めて育てるだろうが」と。 褒めることの背骨がなければというのだ。 「それとさ」とも。 「じっくりと話を聴くこと、肌に触れることも大切なんだぜ」
振り出しに戻ったとき、すでに老いていた。 怖いことだ、恐ろしいことだ。 が、しかし、陽が暮れて遠いのは何? 自由・平等・博愛の名の下の殺戮、民主・平和・啓蒙という廃墟。 「ここからだぜ、またしても」
1本の、存外、真っ直ぐな道を歩いていた。 立ち現れてくる、いくつもの道。 気づいた瞬間、微かな解放感が。 寒くなったものの、「春夏秋冬が偏在しているなあ」とも。 陽射しを浴びようと歩いていたのだった。
金が欲しい、そう、金だ。 大義や名誉、出世もいらない、金が欲しいだけさ。 人生、それだけじゃあない? 持った奴の言い草さ、持たない奴なら痩せ我慢。 ああ、戦争がなくなるほど、金だ、金、金が欲しいだけ。
「こうなると想っていた」との感想を持った方が睨まれたという。 が、多くの人が想っていたことでもある。 「いつまで原始的なのか、人の原始の力もなく」 もう出かけたくない。 今ここで踊り出す瞬間よ、来い!
声を聴きたい。 静かで穏やか、よく通る弾む声を。 解決できると想うのは致命的な冗談だ。 解決できないと断言する根源的な宿痾も、壁。 生まれ変わる感覚を、流れて来て、いつしか届いていた唄で注入していた。
こんなときだ、何か大きな音で聴きたい。 そう体感していた。 が、聴きたいものが見つからず、結果、聴いたのはホワイトアルバム。 「そうか、ビートルズがいたじゃあないか」 ステップだって、踏んでみせるさ。
見上げた空からは、とらえきれない冷たさだが、静かな匂いが舞い降りて来ていた。 厳粛さをバカにした人々も老いて入れ歯を。 「笑っちゃうね」 苦笑止まりでは小さな傷に。 ともに歩きながら再び空を見上げた。
経済優先にテクノロジー偏重、進む国際化。 他に何が? 背景がよく視えて来ない惨事さえ。 人々が殺されて行くことだけは、十二分に分かった。 薄ら寒い状況下、すべての組織が寒さを一段と体感させるばかりだ。
暮らしを表現していくこと。 表現を暮らしていくことさえある。 単純の深さや単純な深さに帰っていく器量にも学ぶ。 今日も産業化されない場所を求めつつ。 反芻するだけで済まないものかと、身体に問うときも。
基盤に基本。 ただ、立つ場所が変われば変化する基礎。 喜劇に人情噺、悲劇にも冗句、認められてしまった前衛も。 今も剥き出しのまま放り出された亡命者? 聴こえはいいが、渦を巻き流れ落ちて行く水流なのか。
「八方塞がりさ」と彼。 「でもさ、もっと悪い事態になることを思えば」 ひと呼吸入れて、「今は一服」と。 「美なんか探しちゃあいない」とも。 「収容所という考え方、考えという収容所を超えて行きたいんだ」
貧しさや病、何より寂しさで覆われていくばかり。 例えば見下すことが戦争を露出させてもいく。 独りでいたい? 大切にしたい想いだが、慎むべきときも。 独りでいられない、独りではない桎梏と解放の狭間――。
「思考は肉の分泌物」と記したことがある。 「ゲップとしての虚無」とも。 心身一如と言うまでもなく、身体と心、脳は一体。 加齢からか腰痛の日々に想う。 腰砕けにならぬよう暮らしていこうと、密かに静かに。
花の名をいくつ挙げられるだろう。 青臭いことにも夢中だったが、気づいたよ。 風土などを見据えることも大切だし、強さや粘りも必要だろう。 が、毎日、花と出逢ってきたのかと。 寂寞に耐えられればいいのだ。
偉さが弱点に。 周囲の下卑た馴れ馴れしさ、いいや、親しげな濡れた縄に締めつけられるからだ。 酷寒の折、解きようがなくなる事態にも。 人間として生きていく辛さ? 何、猛省を手放したことが問題だったのだ。
不安なのは当然だ。 長期の原発問題に重い税金、しかも軍靴の音も。 だからもう不安にならず、できうる限り正確に怖がるんだ。 もはや個人の感受性だけを頼りにできるわけもなし。 正鵠を得た恐怖感が微かな光。
冷たい雨が降っている。 「葉が落ちなければいいが」 イチョウ並木の輝きを想い出しているのだ。 本格的寒さが訪れる前の贈り物。 潜り込んでも、身心をあたたかく包む自然もあると、今年も体感したいのだった。
可愛がるが、同じ場所には立っていない。 とどのつまりは、排除。 草むらを歩くときに似て、脚がもつれる。 呼吸のしやすい場所は、相変わらず、もやの中。 言い切ってしまおう、今は自由への志向こそ自由だと。
どこまで行くのだろう。 そう想える歌手が稀にいる。 行くところまで行くとしたら、つき従ったり、つき添ったりはできる? いや、聴き続けられるのだろうか。 没我の唄同様、自身もまた消失してしまうのではと。
得るとは失うこと。 歩き終え、面と向かったのは古の人々のお墓だった。 誕生は悦ばしいが、死ぬ人が1人増えることでもある。 手のひらを合わせ、噛み締める。 失うとは得ることと今は想えぬまま、青空を睨む。
「無意識に天下を欲する育ちの悪さ」 彼は、吐き捨てた。 「自分が想っていないところにも自分がいるのだから」と。 「していることだけに目を向けてはいない」 むしろ、「在ること自体を見詰めていくさ」とも。
身心が動いていく、同じ方向へ協力して。 ときに危険を察知? 前へ出向く上半身、後ろへ退却する下半身。 頭は真っ直ぐ、眼もまた。 瞬時であると同時にゆったり動作を確認しつつ、柔らかく、おそらく健やかだ。
焚火の愉しみは尽きない。 木々が燃え終わっても、おきは残る。 木々をまた集め、ゆっくりとくべていく。 一瞬でグルリが狭く明るくなり、心地よい暖かさが戻ってくるのだった。 手を自然とこすり、当て始める。
花がこぼれているよ、咲いているんだ。 一生懸命に努力したのだろうか、勉強とかも。 お金のようなものは流通しているのかな。 野に花が咲いているよ。 グルリを明るくして、ただ静かにこぼれていくばかりだよ。