2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧
心も悪性腫瘍を抱える。 予防が基本。 バランスのよい栄養としての言葉や、適度な運動としての言葉の歩行が大切だ。 何より疲労を取る休息が必要か。 つまり、親密な言葉のやり取りが、求められているのである。
小腹が空いていた。 が、時間が経ち、空腹そのものに。 2食、食べられないでいた。 何とか駆け込むことができた店で空腹以前の記憶が甦る。 結果、ワンタンを頼んだのだが、「大盛りで」と急ぎ付け加えていた。
「しゃらくせえ」 時代に合わせることへの志向。 時代が合って来ることは稀だし、時代と合うことも。 ただ、時代の匂いは誰からもして来るものだ。 時代を潜り抜ける脚力が衰弱したまま、「構うものか」と少し。
事件の真相をあれこれ検索していた。 「そうか」と。 昭和のことでさえ明確に分からないことは多い。 大昔はもとより、たった今、起きていることでさえ解明はできない? だからこそ、忘れてはならないのだった。
接するに値する場合とは? 褒め言葉を気前よく贈呈されていいのか、どうか。 無論、罵倒ばかりでは困るばかりだろうが。 歩みを見定めようとしつつ、的確な批評を投げかけてくれるのなら? 実に幸いなるかなだ。
広い場所にいた。 緑は濃く滲み、心地よい風も偶然のように。 が、ひどく耳障りな大声が聞こえて来て一挙に縮む空間。 いくら広くても届いて来る、山中での大声に足取りは早まるばかり。 「いい運動になるよな」
愉しませる人がいた。 だから、お礼を考えた、愉しませられないかと。 が、傲慢であると知ってしまう。 彼は、人を愉しませることが何より愉しいのだった。 「それなら」と、楽器を今まさに手にした彼に拍手を。
欠けていても、嘆き悲しむことなかれ――。 そう言われても、落ち込んだときはどうしようもない? そうだよね、でもさ、欠けていることが、魅力になることもあるにはある。 事実さ。 ときに月を眺めてごらんよ。
商売に情は必要ないという。 が、どうなのだろう。 何より儲かるのが、笑顔が咲く平和だとしたら? 当たり前のことだが、殺人より共存へ。 そも、貨幣が不必要となれば、それこそ、お金持ちの証じゃあないのか。
ガキの時分、嵐の晩はウキウキと。 帰路、想い出していた。 靴下が濡れ始め、辟易としながらも。 安寧があればこそ騒げたのだ。 「嵐に心浮き立てばいいのに」と言えば怒られるだろうか、この壊れた原発の国で。
簡単なことだ。 トップ変更が第一の問題なのではない。 今、漂う暗澹たる気配の根源、上下関係の液状化が問われて然るべきなのだ。 座りたいのなら、どうぞ。 とはいえ、座ったままで動けると忘れてはならない。
唄によるメッセージに反応を。 が、実は唄そのものによる解放にこそ、感応してきたのである。 メッセージを軽々と超えていく声にこそ。 そも、声自体がメッセージだ。 今日は、唄と出合うことができるだろうか。
酒場で腰をかけ、「ふう」と。 20分ほど遅れるとのメールが入ったばかりだった。 生ビールに口をつけ出す。 ふいに周囲の、とどのつまりは愚痴か自慢話が脳髄に響き渡る。 グイと呑み干すばかりの、夜の9時。
横断歩道を渡ろうとしていた。 が、信号機が変わり、隣にいた中年男は思わず舌打ちを。 軽く、「それほどのことでもないのになあ」と。 「分からないわけじゃあないけどさ」 曇天の向こうには青空がうかがえた。
いや、大したことではない。 が、大切なことはある。 例えば秋空の拡がり、手元の熱いお茶、そうして座り心地のよい椅子。 少しずつページをめくってきた。 分厚い本を、読み終える段になったことも忘れがたい。
自分だけという醜さ、貧しさ、低劣さ。 別に創造的になることはない。 創意があれば工夫が生まれるのだから。 発明に心を砕かなくとも、発見に感応できればウキウキできる。 このまま無視していただいて結構だ。
「いい匂いだなあ」 まず美味しいのが駅の立ち食いそばに、うどんだ。 小腹が空いたときに通過するから? いや、別腹を刺激してやまないからだ? 冬など、内臓が温泉に浸かったかの如くの至福と言えば大げさか?
歩き過ぎれば脚は痛む。 長く横になっていれば床ずれにも。 食べまくれば体調も悪くなる。 では、押し寄せる情報とたえず接していれば? 身心がいかれる場合もあるのだから、ときに情報断食をしなければと――。
小道を、ただただのんびりと歩くことに惹かれる。 青空ならいいが、小雨程度なら気にはならない。 ただ、傍らに自動車が来ただけで、台なしだ。 わきまえない自転車もまた。 だから、時間と場所を選んで出向く。
「あの人、前から、おかしかった」 思わず、「えっ?」と身心が反応を。 あれもこれも、みな、心の病という結論で止めてしまうの? 「違うよ」と強く感じて来た。 永山則夫、永田洋子、麻原彰晃、あるいは――。
言葉を持たないとは何なのか。 吐き出す息が言葉となる瞬間とは。 文字を持たないとはどういうことなのだろう。 定義づけへの苦痛がふいに思い出されるときに、言葉で想っている。 言葉や文字のない世界を――。
今や左右を問うことに萎えてしまう。 ましてや南北もどうなのかと。 大小、美醜、また速い遅いにも意味があるのかどうか。 上下の圧倒的な問題が緻密に浸透していく時代だ。 いい呼吸を交わし合おう、そう想う。
木々が揺れていた。 声を聴かせるかのように。 「風の言葉を翻訳していた」と気取って言いたいところでもある。 強い陽射しが一瞬遠のいたかのようだった。 疲れが解け、「そうだ、まだ歩いていくところが」と。
顔をゆっくりと視た。 倒れた理由が、あきらかに分かってしまう顔色。 言葉を交わす、視線が合う。 互いに苦笑としての微笑を浮かべるしかない。 病気の奥から本人の顔色が現れるには、今しばらく時間が必要だ。
はなっから、できる・できないを基準にするとはどういうこと? 考えることではない。 排便は、教えられないとできないとでも? 作法は問題だが、いずれ学ぶ。 いやはや、乳幼児は便秘のほうがラクでいいとでも?
峠まで歩いていた。 無事到着、麦茶をごくり。 帰路に着く段となり、突然、尿意を覚えた。 速く歩いたり少しは走ったりのバランスが難しい。 山中だから、気にせずすればいいのだが、墓が点在していたのだった。
露店風呂で歩いたが、巧くいかない…。 「脚だけ使うにしろ、全身でバランスを取らなければな」 潜ったり浮いたりも。 しまいには手だけで歩いていた。 人がいない中、何かしたくなることが続いていくのだった。
海から出て波打ち際で、ふいに気づいた。 川とは違った感覚で遊んでいたなと。 水流の勢いや波、浮き方等のあれこれを言いたいのではない。 どちらにもある浮遊する内臓感覚の爽やかさ――。 そこが違うのだと。
つい忘れてしまうものだ。 自分が少数派であることを。 変わらず鈍いのであり、鈍さに拍車がかかっているのか。 投票した方が当選することは概ねない。 そも、よく聴く音楽家のテレビ出演は、まずないのである。
経営が千鳥足の企業に明日はない――。 美辞麗句や成功譚、あるいは金言が指し示されても無駄、関係はないのだ。 未来がないのは当然なのである。 何故か。 今日がないどころか、たった今もまた、ないのだから。