2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧
「言い方も内容」とは古からの教え。 伝法な物言いが自身を蝕むことも、また。 先へのびぬ言葉と関わっている暇が、私にもない。 この言葉自体が落とし穴にならぬよう姿勢を正し、待っている。 来るべき言葉を。
変化できるものだけが生き延びられるという。 私を含め、グルリには不断の変身ができたものだけが生存している? 淡く微かで大切なものが消されてきた歴史──。 かたわらの消失点を感じてゆく。
日本の子どもの貧困率は約14%という。 およそ7人に1人か。 実際のところ、当事者の1人の子にとっては、100%以上の問題なのだが。 ビルが今日も建てられていく国で――。
親にとっては、ときにゴミにも思える、子の不可思議な宝物。 いいや、子にとってこそ、不要と感じられる、親の貨幣制度上の宝物。 かわらないのは、互いが互いの宝物であること。
水木しげるご夫妻出演のテレビ番組を観た。 水木氏の失われた左手が布枝夫人の右手へ伸び、手をつないだようにも――。 学校や試験もない世界の住人の、観えぬものを顕在化させる一貫性と出会えた喜び。
自分の足音が聴こえ、我に返る。 すでに坂の上の妻子。
放り出して出かけても、 ロクなこたあない。 いざ、わが身体へ。
定義や解析、評定の息苦しさは、 ご返却させていただきます。 敵とさえ共生できるアイデアを、 ここはひとつ、 よろしくお願い申し上げる次第です。
個性・個人は、時に関係性のオデキ。 軸足は、個別の個体事情に置く。
日本には失われた美しい風景が数多くあるけれど、 人々が自死せずに済んだ風景の喪失こそ、 嘆きたい。
子どもが自転車に乗ることができたとき、 自然とこぼれてきたのが唄だった。 本人が1度も聴いたことがなく、 ましてや歌ったこともない旋律の。 簡単に天へ昇った安上がりの親子。 風を切って、風に運ばれる。
「教育は親からの既得権益」 この発言自体、教育の成果だが、 ともあれ無残とも言える現状だ。 大人同様、子どもたちもまた、 子どもたちの子どもたちの子どもたちと、 今、共に生きているはずなのだが…。
溜めが粉微塵の失職者もいれば、 美しく暮らす文無しも。 夢の欠落だけが問題なのではない。 子どもたちがゲラゲラ笑い出しながら飛び出してくることは、 もうなくなってしまった。 道端に座り込む、しっかりと。
感情をうっちゃるグローバル化店頭労働や、 金融・医療・教育・マスコミといった情報独占労働など、 世界は今も、問題を発生させる根源の労働だらけ。 労働の質量は変容化したが、 実は何も変わっちゃあいない。
彼は誠実で実直。 美しい指を持ち、無意識で苛立っている。 自らの心としての息を肩ですることも多い。 社員食堂で昼食を終え、席を立った。 そうして、いつものように、太ももをテーブルの角にぶつけてしまう。
ヨーガ教室。 前屈する、そる、ひねる。 この、わずか3つの動作を、痛む1歩手前まで、深い呼吸で行う。 それだけで、心地よくなるようにできている身心。 今・ここが遠くへ開かれていくようになっているのだ。
1つひとつの臓器に優劣などあろうはずもなく、 その連携具合の絶妙さを知るほどに、 この身体と出逢えたことが喜びとなる。 まだまだ、つき合って、つつき合っていけるといい。
テーブル上の容器が倒れる。 ビールが流れ出す。 酔っている会社員は何もせず、見つめるだけ。 液体が拡がっていく様子から、夏雲を思い出してしまったのだ。 ふと、指で茶色1色の河を描き出す。
休日はぼちぼち、 裸足に衣替え。
泥の水たまりに映る月も月。 脚下の水中宇宙に見惚れ、 しばし浮いてみる、泳いでみる。
太極拳教室。 周囲の呼吸に誘われ、独りの私がいつしか1人ひとりとしての自分に。 ついに教室全体の呼吸が重なり、波打つ姿を体感。 1つの下降し拡がる深い呼吸、しかも誰のものでもない呼吸を舞うのだった。
明日は、冷徹でなければ開示できない。 つまり、冷たさが、未来にも残ってしまうのだ。 だが、嘆くことはない。笑う話でもないが。 希釈していけばいい、淡々とした笑みで。 ピース!
子どものとき、 現実の事実ではなく、 詩の真実を体感しなければ、 いつ親和力を育めるというのだろう。 もちろん、大人においても。 いや、大人だからこそか。 今日は夕陽を見送ろう。
無責任な物言いで恐縮だが、 労働の現場でも努力、ましてや根拠など持ち出さず、 勇気を絞り出すことだけが乗り切るための極意となるときがある。 そうした局面と遭遇した過日、 いつものように街角を曲がった。
犬が仰向けになり、腹を差し出す。 さする満足、さすられる至福。 花びらがすでに舞う桜の並木道で、 犬の腹になってゆく。
束の間、砂ぼこりを地上に這わせる。 それだけでもましじゃあないか。
あけっぴろげ貧乏でGoGo!
覚えたての五十音で話す子どもと、 漢字、果ては片仮名語さえ混じる大人との会話は、 ご近所異文化交流。 策略・侵略・謀略の臭いが、 微塵も漂わなければいいのだが。
「追い抜くかな」 ふらつくおっさんが前を行く。 自転車のペダルを反対側にこぎつつ逡巡を。 「あっ」 杖が観え、桜を愛でつつのリハビリと感得す。 自転車をおり、「ままよ」と後ろから歩くことにした通勤時。
黄色人種の赤ん坊として生まれ、 青い時代を何とか生き延びたが、 今でも時折、目を白黒…。 人生いろいろ、色もいろいろ、 私だってうろうろ、うろつき乱れるの。