2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
力の亡者たちは、スッカラカンのときも寄り掛かってくる。 眠るなら金銀財宝の上ではなく、ボロボロでも布団の上に限るのだが。 虐殺を、わが身のこととして引き受けていく。 生命と生命の共鳴を希求しつつ――。
幼子の生命を弄んでおいて知らん顔。 仮に認めても、「それが何か?」と言うのだった。 自首する者はなく、身銭を切ったとの話も届かない。 魂の声を聴き取れば、身だけでなく、心の新陳代謝もよくなるのに――。
欲しい物。 例えば、パンクしない自転車。 あるいは、暗闇で読める書籍、酔いを操れる水、荷物を入れるほど軽くなる鞄――。 あり得ない物ばかりを夢想する。 たださ、親和力だけは、今ここにないとまずいんだ。
情けない。 現況を鑑み、神仏は自らをどう支えるのか。 情けない。 笑みがこぼれる暮らしの発見・発明を欲情している。 情けなさが湧き出す重い穴倉を、手放すことはない。 暗さに重力が内包された穴倉なのだ。
逢えない先祖や子孫を想う。 過去や未来へ行けたのなら、わたしを血族だと分かるだろうか、時代の泥を払い除け。 いや、血など関係ないのだ。 コミュニティーが十全に生き、暮らしを味わう人々と出逢えるのなら。
春の風が室内に入り込む。 得たことも少しあるなと気づく。 そうして、机上の小間物の配置を変えた。 囲むことが大事なのだ、囲炉裏に集まる如く。 今はもう、古い火鉢に残されていた祖父の灰も失ったけれど。
テントも撤収され、見渡す。 焚き火の始末も終わりそうだ。 野営生活で世話になった地上の場所は、すでに身心に刷り込まれていた。 わずかの時間が流れただけなのだが。 出立まで残すは、互いの無事を約すこと。
心の荒廃さえ温かく思える、無意識も揮発した奇妙な言葉。 ああ、自動販売機を撮影したい、芸術や報道、記録の写真としてではなく。 そうだ、泣くとき泣かなければ、いつ泣くの? 暮らしは、生産性では括れない。
口から白い龍が飛び出す冬、登山靴にアイゼンをつければ、胸の奥が高鳴るものだ。 夏の炎天下、専用の靴で海中を歩けば、腰は涼しく溶けもする。 が、季節は消えた、山も海も。 身体よ、季節を孕めと空のほうへ。
登った山が低く、品格や歴史、個性も乏しかったとしよう。 ただ、体調がよくて、仲間も快活。 何より山頂で食事を美味しくいただけたとしたら? しかも、不安なく自然を愛でられたのなら、まさに今日の名山である。
疲れた彼が笑顔で呟く。 「好きなのは家へ帰ること」 家庭でも苦労続きだったから、わたしは怪訝な素振りだったのだろう、即、言葉が続いた。 「帰路自体が道草だと思い出せたし、ほら、ひと呼吸つけられるんだ」
生きようとする意志を剥奪する困難。 反転できて、「生きていくさ」と思えればいいのだが。 「もう死ぬしかない」と感じる気力もなく、自死してしまう場合さえ――。 惰性で生きていくこともいいぞ、いいんだぞ。
人々の、時空を超えた営み。 例えば、湯気の立つ台所仕事がなかったら、どうしていただろうか。 歴史的造形物も届かぬ奥行き。 何はともあれ、火と水、刃物等で、台所を成立させるところから、まずは始まる――。
近代を、尽きぬ最大で最高の幸福という幻想が渦巻いた場所と想定してみる。 すると、今の状況が問題なのではなく、結論なのだと。 固有の、不幸に成り切る解放さえ奪われた? 「な〜んてね」とは言わない。
数年前の昼、住宅街でのこと。 普段着の中年女性が懸命に走り、かたわらを通り過ぎていった。 エリートランナーではなかったはずだ。 力強く、重さを感じさせない疾駆。 一体何だったのだろうと、今も思い出す。
「ヨシモトが亡くなったそうよ」 「どこの? あっ」 言い難いことを率直に記し解体、束縛と解放を与えてきた優しい男。 何より、「どう思うかな」と、友人を思い出させてくれた男の訃報と接した朝、独り合掌す。
教育は、食物の如く重要だ。 医療もまた、飲料水の如く必要だろう。 そうして、今・ここで、生き延びるための場所を共に創ることは、呼吸の如く切実なのだ。 平成版貧乏・不幸、そうして無知の涙を拭うためにも。
やり過ごしていいし、諦めてもいい。 卑怯にならざるを得ない場合もあるだろう。 逃げられるのなら、逃げたほうがいいときさえ多い。 ただ、慟哭の視線に耐えることも放棄してしまえば生きる死体、とは忘れまい。
「さようなら」 死者のままでいいから、この世にいて欲しい。 「さようなら」 人は成仏しないといけないのかな。 「さようなら」 そうだね、別れの挨拶の次はこんにちはだもの、今は身心から、さようなら――。
俗に言う一流の大人に、興味なし。 現世的なことのみに腐心したくはない。 山頂で夕陽を眺め、静かに涙を流す方がいた。 そう、裏切られても本望の奴と、杯を酌み交わすのだ。 話題がなくても、話は弾むだろう。
泣き出しそうなことばかり、もしくは殺意の束が沸々と? じわりと増えた営みは、身心からの挨拶。 想いに本当も嘘もあるものか、ただ貫かれるばかり。 あなたのほうへ呼吸を解き放つ。 手のひらをあわせて――。
「何だか春の陽気だね」との声を契機にマフラーを外す。 「まだ青い感じだな」 その呟きの途端、目と目が合い苦笑を。 『方法としての青春』という言葉さえ遠く、たまには夜の散歩をと腰を上げていたのだった。
「すべて嘘だった」 そう言い切れれば断言の価値もあるが、今日も砂埃の中、すさむだけ? あなたも、「もう勘弁して欲しい」と感じていたはず。 分かるさ、遠く離れていても見失わず、ここに居続けたんだ。 合掌
血のにおいがしてくる。 拭っても拭っても消えない、消えやしないさ。 錆びついた鉄を全身に塗り込められ、舐めているのか。 夢は捨てなければ立ち上がってこないが、それにしても酷い強風なのだ。 合掌
笑い話にできないことが多くできた、たとえ被害者が笑っても。 携えてゆくんだ、失われた心を。 長く逢っていない大病の友が記していた、「病気の前こそ病気だったのか」。 古の人々と同じことをする、祈るのだ。
生活は便利になったが、老いてはゆく。 しかも、餓死よりマシな汚染食糧が拡がる? ただ、いいことがなければいいと思えないなんて、息苦しいこと。 そも、いいことはいい? 地下鉄を気に入る気候がある。
覚えているだろう、おれが気楽な奴だって。 今でもお前の仕種を思い出すよ。 スカートの裾をつかみ微笑む、あれさ。 夜は長いが、朝には短かったと後悔するもの。 今はだから、ここの懐かしい未来で破裂するさ。
本に新聞、音楽再生機器に小型ワープロ、携帯にデジカメ。 薄い財布に厚い土方弁当も。 まだありますが、以上持ち歩く日々に相違ありません。 申し訳ありません、わたしがやりました。 手ぶらの人生が信条です。
東京スカイツリーが完成という。 わたしは仮設住宅からのはがきを読み終えられないでいる。 心の病は周囲の早期発見が大切? それができるなら年間3万人超も自死しない。 言葉を手放すときはいつかと朝に記す。
娘は笑みを浮かべ、話し掛ける。 「ねえ、父さん」 柔らかい、「なんだ?」の返事。 子の口からどのような話が出たかは、知らない。 ただ、この世でもとりわけ美しい会話が静かに続いたことは、十分に体感できた。