2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧
裸の季節。 脱ぎ捨てられた衣服に夏を感じるわけではない。 とにもかくにも裸だ。 体内からも夏が発生しているよ。 かくして、からだの内側から、脱ぎ捨てたい季節だ。
病を得た友人が言う、「改憲でも、護憲でもいいが」と。 「何だよ、それ」と、わたし。 「子どもがさ、銃で殺されなくなってからでもいいよな」 そうして付け加えるのだった、「戦争論の議論もまた、同様にさ」。
考えていることは、どこも同じ。 一定以上の品質の保持、また低コストで、さらに納期の死守。 そうでなければ、消費者が許さない? 店頭では、小銭を持った子どもが、わがもの顔だ。 誰もが消費者という違和感。
商品を作る。 流通していく時間も問題か。 製造する機械や、製造する機械を製造する機械もまた。 消費が縮小すれば、売れない、そうしてまたしてもリストラの大波。 その悪循環が昔も今も続き、困るのはやはり…。
「人の命が軽くなったからの殺人」との指摘。 まずの話が、人殺しの情報にはこと欠かない。 もっとも、重さから殺す場合も。 ついには、貨幣となってしまった生命というわけか。 いつか消えてしまえばいいのに?
アメリカのフリーウエイを自動車が走る。 ラジオから流れるロックが後押しして。 ティーンエイジャーが誕生、キングコングは友だちさ。 軍には持って来いの、小道具ばかり? すべては巧みに利用されていくのだ。
無意味に偉そうな御仁が。 末期症状とも言えるだろう。 要は偉そうにするしか能がないのである。 一緒に、ついて行ってご覧、よく分かるから。 ただ、概ね引き返せなくなってしまうものだが、それは知らないよ。
懲りずに曲げず、真っ直ぐにぶれずもいい。 が、どうなのかな。 私欲の底にある、実は恐怖だとしたら。 柳の如く、どこ吹く風と、しなやかに底へと沈みこむ方法もある。 今も、その時期ではないとは想うけれど。
主語は誰? 述語も曖昧だ。 福島の現時点での総括が視えない、聴こえない、届かない。 膨大過ぎて、おまけに素人には関係ない? 世界に向かって、嘘八百を並べ立てたことを忘れてはいない。 海で泳いでいいの?
「1人親だと白眼視される」と聴いた。 浅学を痛感、「相変わらずか」と。 制度上の問題もそうだが、「こたえるわよね」と。 格差社会とは、とどのつまり階級・階層社会。 単なる夢さえ、視ることさえできない?
助けが必要な場合ほど助けを求められないという事態。 生まれ直す以外、手はない? 寄り添うこともままならず、夜の海に捨てられた如き恐怖・不安も。 愛は無条件なのに、無条件の愛こそ求められているのだった。
恵まれているとは一体何? 「財多くして、時間の融通がきき、名誉もあること」との言。 それはそうだが、概ね立つ瀬がない。 人より長生きすることでもないだろう。 稀にでいいから、心底人と笑い合えることさ。
とどのつまり愛と仕事、そうしてお金だ。 どれが欠けてもうまくはいかない? 然り、バランスを失っても。 ただ、家事と労働、介護等の何重もの苦役を強いられる現状も。 倒れないだけで精一杯、これ以上、何を?
実にもう、不愉快なものだらけだ。 これ以上は堪忍である。 が、毎日まいにち、不愉快なことは続く。 どうしたものか、続きに続いている。 戦争へ、貧困へ向かいたい方々とは袂を分かちたいが、いつも道端で…。
交換価値や使用価値。 人数、時間、力量等々もまた労働では問題か。 抽象的労働が増す中で、体感しにくいことも増加の一途だ。 何処から来た? 今は、明日の子どもたちに申しわけがないことだけはすまいと――。
今夜も寝床を整えよう。 相変わらず暮らしぶりは貧しいが。 しかし、いや、だからこそ、丁寧にと。 するべきことは、多くはない。 倒れこむように寝床に入ることもあるだろうが、寝床が整っていることが肝心だ。
足るを知る――。 為政者の都合に合わせ使われてきた文脈だ。 が、老子は単なる現状満足とは違う方向で喝破したはずだ。 宝石でできた箸が千あったとする。 仮にすべて自分のものだとして、使い切れるだろうか。
伊藤ユミ氏が亡くなられた。 永六輔氏は、自分の記事のほうが大きく出て、どう想っただろう。 答は何となく、されど明確に分かっている。 それでも今1度、聴いてみたかった方も旅立った。 あらためて、合掌を。
出産で生命が送り出される。 新しい生命が世にと言うよりも、むしろ生命が新しく世に? そも、1つの死が、新しく生まれたのでもある。 生死が同時に、スタートラインに立ったのだ。 愛しいことの根拠でもある。
「病院へ行って来た」と彼。 検査結果は、「年なりです」で落着を。 表情は浮かない。 「健康って何だろう」との問いかけに、「したいことができることかな」と返した。 すると、「排泄できるだけでいいよ」と。
電車、乗りたくないな。 怖くてさ、繁華街にも出たくはないなあ。 何が起きるのだろう、不安に恐怖――。 気分はもう、どうしたって亡命者みたいなもの。 皮肉や批判、悪口程度では、おさまり切らない身体性に。
かつて、こうした言葉が流通を。 「失うものといえば鎖だけ」 麦茶を一口飲み、「今はどうか?」。 空を漫然と眺め、的確な事実だなと。 入道雲でも憂うつか、大雨でさえスキップできるか、もう視えてはいるが。
「よくやった」と褒められても仕方がない。 負けたのでは。 抱き締められたのなら、ともあれ。 いや、それでもダメだ、流されてしまう。 勝負とは別の場所で、まさに負けないよう暮らしていくしかないのである。
自由の定義が自由でない。 息苦しく、窮屈になるばかり。 日米地位協定、しかも憲法改正云々。 「ひでえよな、冗談じゃねえよなあ」 嘘はいけない、暮らしをよくすると言うが、暮らしが台なしのままじゃないか。
音はしっかりと視えるものだ。 例えば声で水面が微かにふるえるように。 風景は確実に聴こえても来るのだった。 例えば風で木々が揺れるように。 味わうのだ、のんびりと、穏やに、夏の身体・身体の夏への道を。
特に速くなくてもいい。 低空でも飛べるのなら。 お金はないが、価格は多少高くてもいい。 殺された生命でないものを食べられるのなら。 泣いてもいい、笑えるのなら、怒ってもいい、微笑みを手放さないのなら。
学校で、仕事場で、自宅で、長くしてきたこと。 座ること――。 分断はごめんだと想いながら。 見つめ合ったり、抱きしめ合ったりすることと遠い、座ること。 立ち上がり、歩き始めることが第一義と思い直す朝。
夕刻。 休日に出る疲れから休日の疲れまでが出現を。 ぼちぼち憂うつになる時間帯にだ。 出張帰りならまだごまかせる。 が、昼寝には遅く就寝には早い頃合い。 疲労を実感するばかりのとき、音盤に手を伸ばす。
パソコンや世間知、希望への道に精通していなくてもいい。 字が読めればいい、いや、読めなくてもいいんだ、生きていこう。 排泄ができればいいよ。 食べられるし、呑める。 何より唄心の奥を忘れずにいくんだ。
朝の詩歌は美しい。 そうは断言できない? 分かっているが、言い切りたい。 朝、億の排泄が、人々の気分を決定するのだもの、美を志向して当然か。 土に撒かれなくなった糞尿の集積を稀に想像しては、茶を啜る。