2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧
素朴な素人が生きにくい社会だ。 上へ上へと歩むばかり? が、踏みつけるものがなければ上へ向かってはいけない。 国民総出で、「持ってけ、泥棒」の事態? 負けると分かった妙な博打ばかり打つ国に拡がる汚泥。
ふと、「人を信じていきたい」と体感を。 「懐かしい心魂だな」と嬉しくなっていく。 最小限の荷物で山へ行こうか。 実は、人がいないから? いいや、文字通りの聖なる空間が、善なる人を生み出しているからだ。
嫌なことは、自発的に進んでしろ? 俗に言う成功者の言葉だ。 実は、損得を意識した姿勢だし、為政者にとっては都合がよすぎる物言いである。 そうじゃあないのか。 こちとら、単に押し付けられているだけだよ。
暮らしを愉しむとは? なかなか難しく、何となく簡単だ。 あるいは、何気なく困難で、面倒なほど簡易だ? 食事の起承転結、排泄のハリウッド映画化、歩行の序破急、睡眠の浪花節を愉しめばいい。 今を生きよう。
「女はみな女優」だなんて。 むしろ、男がみなダンサーだったらよかったのに。 緻密で、杜撰な経済戦争の兵士ではなく。 リズミカルに跳ね、素早く移動。 固有性に満ちた笑みを浮かべる押しのけない身体こそを。
スピード社会と言われるが、どうだろう。 つい食べたくなる、膨大な、いや、食べ切れないほどの情報量。 質さえ味わう暇もなし。 消化さえできないまま、停滞は続くよ、どこまでも。 逆に、呑み込まれたままで。
「お金、欲しいなあ」 福島のお米が安く買い叩かれているという。 結果、外食産業へと。 原因を作った企業の働き手たちは、相変わらず飢えていない。 「ああ、金だ、金が欲しい、そうしたすべてをやめるための」
明るい単純さという夏。 一方で暗い複雑さという冬。 もちろん、明るい複雑さや、暗い単純さという春秋も。 誰それはこうだと決めつけるつもりはない。 ただ、傾向があるだけだ、傾向というゆらぎ続ける足場が。
誰にでもいつだって居場所が必要だ。 不器用を気取ることができればいいが、昔も今もどうかな。 周囲には井戸端会議の発展性のなさ。 しかも、ヒソヒソ話が視えてしまう。 寒い朝、ひと際、人が露になっていく。
休日、駅近辺を通りかかる。 多くの人たちが駅構内にいるのが視えた。 想っていた、「山へ行くとき以外、避けたいなあ」。 都心へ出ることに、薄い恐怖心があるのだった。 原因が現出しないことを切に祈る日々だ。
立ちはだかる困難。 「何故に、こんな嫌な奴になれるのか」と感じる敵も出て来て。 そうして、愛すべき同志も登場。 その拡大再生産としての物語が今日も流通を。 幸福な結末後の大切な展開は描かれないままで。
関係を長続きさせるコツ? 方程式はないものの、開かれて互いの至らぬところを認め合うことからかな。 つまりだ、この国はもはや、どこまでもつのかと。 そうした話じゃあない? ああ、そうだった、そうだった。
小道を歩きながら、ついと振り返る。 「あれこれ、ヘマばかりだったな」と。 「ただ」と呼吸を整えて思い直す。 「実の話、出来は悪かったが、人を憎み切ってはこなかったよな」 とどのつまり、幸運だったのだ。
バスに乗れず、駅までの道を歩く。 白い息を吐き、足を取られ、鞄が肩に喰い込む。 中にはスイスイと追い抜いていく人もいて、「雪国の人かな」と。 固有の身体が浮き出る朝。 駅に着けば湯気を立てている人も。
窓々に灯りが点き出す。 今も物騒な気配が漂う貧しい住宅街にいた。 「唄が流れたり、歌われたりしていればいいなあ」 これから、その中の1つの家庭におじゃまするところだった。 手土産は安酒とケーキである。
緑多い広い公園へと出向いた。 久しぶりに、思い切り深呼吸を。 ゆっくりと、咳が出ないようにと確かめながら。 すると目の前に、シャボン玉が泳ぐように流れて来た。 ただそれだけのこと、たったそれだけの悦び。
暗い中、うっすらと目覚める。 目をこすることなく、脈動をゆっくり、ひっかき集めて起き出すのだ。 1日を始めるのだ、今朝もまた。 命を削り、働くために。 間に合わないことが多い中、「それでも行くさ」と。
玄人の素人化、素人の玄人化が進んだのはいつのことか。 良し悪しを問うつもりもない。 ただ、素人の素人化も進み、何が何やらと。 何より怖いのは玄人の玄人化。 嘘がまかり通り、勝手に人々を追いやるばかり。
病によっては食事を摂らないほうがいいときも。 汁物だけで過ごすのだ。 「いのちのスープ」との言葉を体感した日々。 食べなくてもいいのなら動植物は不運から逃れられる。 が、人にとっては実はどうなのかと。
公園へ出向けば富士山が。 「まるでデビッド・ボウイのようじゃあないか」 そうだ、水木しげる翁のマンガを読もう。 化けて出て来る秘術を知ることができるかも? いいや、異世界に浸っていたいだけなのだった。
国のために戦地へと赴く心積もりはない。 人のために国家をなくすのなら分かるのだが。 が、すでにグローバル金融資本が行っていることだ。 数え切れぬイメージ操作。 人のためにならない人のためにという想い。
それにしても、神って何だろう…。 それでも、折々に自然と拝んだり、合掌したりしてきたけれど。 暖かい陽射しのもと、小道を歩いていた。 「そうか」と汗ばみながら想う。 「神に頼むときだけ、神はいるのだ」
事実に気づいたり、気づかなかったり。 が、すでに知っている場合も。 話をじっくりと聴いたわけでもないのに。 情報は空気のように流れてくる、流れていく。 知らなくても死なないが、死んだようになるときも。
死ぬときは、孤独・孤立でしかない? 親和力が滲んで来ない時勢に、孤老の如くトボトボと。 敬意の達人・尊敬の名人は、すでに求めちゃあいない。 が、せめて撃たれないこと、つまりは撃たせないことを切に願う。
働いている。 寂しいとは想わないが、愉しくはない。 愉しいとは感じないが、寂しくはない。 寂しい愉しさ・愉しい寂しさを、同時に感じるときも。 目の前の1つひとつをこなしていくしかない、泡立つ日々――。
1人の効用は、いろいろある。 例えば憚ることなくできる放屁。 ついにアクビも、し放題か。 何より、同時にやらかしたときに感じる生き生きとした寂しさ。 じわりと体感できる切なさは、格別と言っておこうか。
彼は言う。 「腺病質でした」 故に、「生命は力強いと言い聴かせ、思い聴かせ、流れに乗るといいのです」。 そうして静かに結んだ。 「健康とは言いたくない。ご病気の方に対して失礼だし、申し訳ないですから」
問題処理の能力がないのではない。 要は、問題と想っていないのだ。 仮に想っていたとしても、何が、どう問題なのか分からないのだろう。 それ故の暴投。 結果、息のできないデッドボールを受け続けているのだ。
受け手が大切だ。 名演奏だったと言い張っても、聴く者に届かなければ――。 が、忘れてはならない。 初めての聴き手が自分であることを。 まず、自分の声を聴く、しかも、自分という他者へ届けて行くのである。
彼の言。 「大きな流れは1歩ずつ進むので慌てる必要はない」 また、「望む方向へ進んでも軽挙妄動は慎むべし」。 何故か? 「当然のことが起きただけで、ありがたいことに少し前に気づかせていただいたからです」