2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
1度手をつけると、便利だと使ってしまうものだ。 例えば科学の英知。 未来の子どもらから預かったものとして、使うかどうか判断したほうがいい。 いや、発明・発見すべきかどうかを問い続けたほうがいいのだと。
友人が死んだ。 もう何人だろうか。 いつしか、わたしの番が訪れるのだろう。 体感している、死んだ後でも、わたしを支える友人たちを。 つまり、今もなお、しっかりと生きているのだ、わたしが生きている間は。
自分がしていることは、他人もしているものだ。 歯を磨くときは、両手があったとしても片手でする。 比べることはない。 ただ、正しい磨き方かどうかを知っておけばいい。 見下さないのは、見下されているからか。
部下を罵倒してどうするの? パワハラ云々よりも何よりも、要はいじめさ。 いじっていること自体すでにして。 遊びだとしたら、なおタチが悪い。 いっそどうだい、「わたしは認められたいだけ」と叫んでみては?
この道一筋という。が、「本当かしらん」と。本音は、「嘘つけ」といったあたりかな。この道はあちこちの道があるからこそ、この道なのだもの。一筋なのもまた、そこに落ち着くまでの紆余曲折があればこそ。 HK & LES SALTIMBANKS "On Lâche Rien" (English …
東京でのオリンピックには、今さらのように反対だなと。 政治と貨幣、邪悪が舞うばかりだもの。 いっそ、自然の中で行ってはどうだろうか。 できれば福島の、かつては汚れなき大地の上で。 推進する連中だけで。 Rainy Day, by Rainy Day (David Roback & fr…
嘘を言わないことは難しいのか? 嘘は戦争どころか、自殺の始まりだ。 嘘と無縁で生きていくのは無理なのか? 嘘はばれてこそ、初めて嘘になる。 長きにわたってばれなければ、ついに真実になってしまうとでも?
新譜が愉しみだった。 ただ、今やメディアも発達、とらえきれないほどの量が発表されている。 新譜にこだわらなくなった由縁か。 図書館では、名作誉れ高い盤がすぐに借りられる。 手あたり次第の時期でもない。
老いてきたなと実感している。 とりわけ、脚力の衰えと脚への違和感。 そうした折、「意識で身体を引っ張っていく」との言葉に出逢った。 なるほどそうかと。 寸暇を惜しんで脚を動かさなければと痛感している。
ここにいて欲しいと望む施設や歩道が増えている。 が、どうなのかと。 必ずしも行きたいとは体感できないのだ。 儲けようという魂胆ばかりが視えてしまう。 必要な居場所は暮らしと密接不可分のはずなのである。
何度でも想う。 排他的な言葉ばかりが渦巻く日々に。 語り口もまた、内容なのだということを。 そうした折、朴訥だが、誠実な語り口の方と出逢った。 よく聴く、つまりは徹底的に受け入れる姿に圧倒されたのだ。
すっからかんな局面。 そのとき、いわゆる物資が切実に望まれるとしたら? まずは調達だ。 手元に届くまでの道のりも重要だし、いざ届いたときの分配も思案のしどころだ。 準備はしているのだったが、はてさて。
路頭に迷ったとき、忘れがちだ。 方法はいくつもあることを。 こもって考えれば、いくつか浮かぶはずだ。 1人でさえそうなのだから、他者が加わればもっとあるだろう。 まずはそこからである、そこからなのだ。
破局だよ、経済に福祉、教育等々も。 地球だって、どうなることやら。 日本人総体が、麻原みたいに想えてくるんだ。 泥棒さ、それも公然とした。 仕舞いには、生命の泥棒として、にこやかに殺戮しているかもよ。
夢中になる虚構。 その多さに迷い子の感覚になるときがないではない。 虚構が保証されるのは悪いことではないだろう。 が、大麻か、覚せい剤、はたまた酔い覚ましのトマトジュース? 要は素晴らしき嘘っぱちさ。
立ち喰い蕎麦・うどんは、もはや贅沢品である。 量が減ったし、そも、値段が高くなった。 緊張を強いるという、あってはいけない職人風店舗まで出てきている。 「寂しいな」 立ち喰いには気楽に入りたいものだ。
悲恋の物語で言われていた。 「離れていても一緒」と。 そんなことはない。 暮らしの仔細なあれこれの積み重ねを軽く視てはいけない。 とはいえだ、言いたいことは分かる。 事実、身心で疼く声があるのだから。
加齢とともに怒りっぽくなった。 実は自己保身なのだろう。 目の前のことに柔軟に対応できなくなったが故の身心からの小さな叫び。 そのくせ持続はしない。 自らに言い聴かせる、「まずは自分を罵倒しなよ」と。
人とは一体何か? かつては動物との対比で考えられていた。 今や、話題のAIと比べて考えたほうがいいとの話も。 要は、人とは何か、考えるのが人でもあるのだろう。 動物やAIの力を借りてでも考える人と人。
冷静でいたいが、難しいことである。 そこで静かにいきたいものの、浮かれ者たちの声が大きくてさ。 だから、せめてと。 せめて注意深くはいきたいものだ。 神経症にならない程度が、これまた難しいのであるが。白土三平伝-カムイ伝の真実作者: 毛利甚八出版…
嘘を平気で言う、言える――。 暮らしていくためには、当然のことか。 が、気色が悪いだけだ、それで暮らせて愉しいのかと。 せめてだ、生きるための嘘であればいいのなにと。 そうでなければ、人心がもたない。
上司の指示に、「時間がない」とアッサリと言い放つ。 物を投げるように置く。 しかも、誰よりも遅く来て早く帰る。 「なってないよな」との嘆き。 が、他人との賃労働の前線で今は何が起きても不思議ではない。
好きなことをすればいいという。 その対極にあるのが、安心? が、好きなことがあれば、安心できる。 しかも、安心は好きなことなのだった。 巧くいけばいいな、わたしたちの今年もと、切実に願い、祈っている。
恩を仇で返す――。 つまり善意には悪意で応える輩がいるのだった。 「一体何なのだろうか」と考えても理解できない? そう、無理なのだ、分かることは。 善悪の悪、美醜の醜、何より損得では損になるのだから。
没イチという言葉。 配偶者が亡くなった場合とか。 そこで、「2人分生きる云々」と。 無理なことだ、自分を全うすることさえ覚束ないのに。 が、生き抜いていこうとして、再会することがあるかも知れないのだ。
農薬で、がんにさせられてしまう人々。 そこで治療にのぞむ。 が、背後には共に同じグローバル企業がいたとしたら? 緻密に収奪していく社会のシステムは進化・深化していく。 開示を、ただ、ひたすら開示をと。
資本主義社会というより、グローバル・ハイエナ社会。 格差なんて言葉ではもう、届かない。 世界に広がる階級・階層化の定着、これだ。 奴隷か、死かの二者択一を迫られる賃労働者たち。 世界の野麦峠化なのだ。
ぼちぼち始めるか――。 今年初の太極拳を。 いつもは体育館において裸足で舞うというか、恥をかく。 が、屋外のため靴を履いて行うことに。 すると安定していて、とても塩梅がよいことに気づかされたのだった。
親父が冷静に突いて来た、「人様を馬鹿とは言うな」。 しかし、何年か経った後、「お前の言う通りだよな」と。 「どうしたんだよ」 そう問えば、「まあな」と苦笑いを。 今年になって想い出した昔むかしの話だ。
音楽が流れ出す。 気づけば、演奏者は目を閉じて、音楽の中にいた。 音楽は鳴り響いている。 わたしもいつしか、目を閉じていた。 音楽が終わったときに、目を開け、「ああっ、そうだったのか」と気づいたのだ。