2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧
浮ついた見栄に、役立たずの誇り。 横断道路を渡ろうとしたとき、感じてしまう。 他殺のような自傷に、果てのない悲観。 埃のように飛んでくる。 息苦しくて仕方ない。 だが、このままで済むわけではないのだ。
余計な不安は持たないほうがいいとの声。 ところが、判断する側がフラフラだ。 つまり、余計なのかどうかも分からない。 いいや、不安が消えたら、逆に不安とも言える。 見え透いた嘘に、騙され続けてきたもの。
彼は苦笑し言った、「毎日、生きていくことで精一杯」。 「そうか、そうだよな」 こうも話した。 「つながりを大切にすることだけでも大変でしょ」 居酒屋のテレビからは、ばれている嘘を話し続ける政治家の声。
ときあたかも、反中・嫌韓。 しかも、蔑朝とは。 呆れて、恐ろしいばかり。 あの不思議な髪型の彼は、この領土の首相より賢明、歴史の当事者なのだが。 蹂躙した歴史と同根の精神性が、今も現れているのだった。
好き嫌いは避けてきた。 「感情は持つものではなく、視るもの」との言を支えにしていた時期も。 が、実は、いい悪い同様、好き嫌いを言っていいのだ。 ときの首相は悪いし、大を冠して嫌いだと。 今、そう想う。
太極拳に水中歩行、自転車走行などをしている。 そのことを伝えると、「元気ですね」と。 いや、元気なのではない、だからこそ身心を動かしているのだった。 無論、まったくの非力というわけでもないのだったが。
五月晴れの日に想った。 「生死だなんて、それこそ不可解だよな」と。 何のために生まれ死ぬのか、意味はあるのかと。 神への賛歌のためにと体感する人たちがいても、不思議ではない。 ただ、与しないだけだが。
資格を取得するだけでいいわけではない。 もちろん取らないで済む話でもないだろう。 要は努力し続けることが前提なのだ。 楽はできない寸法である。 「試験代等で儲けさせるだけではねえ、つまらないぜ」と彼。
最近、出逢っていないなと。 気風がよく、さばさばしている人、それも女性で。 子どものころ、「ジュン坊、元気出しな」と肩を叩かれて笑う方がいた。 つられて、わたしも笑ってしまったのだ。 しかも、大声で。
逃げて当然の事態である。 とはいえ、日々の暮らしだけからは逃げないようにしなければと。 そもそも、逃げられやしないのだから。 つまりだ、逃げるしかない中、逃げられない場所で、逃げない、それだけなのか。
何もしないでいよう。 そうしたやり方で、首を絞めるだけ絞めるんだ? あれこれ変えて、暮らせなくなるのはご免だけれど。 いつまでもつのかな。 今日明日の話ではないだろうが、もたないとしたら今の話だなと。
水辺や木々のもとに、人は自然と集まるものだ。 語らいにふさわしい静寂が満ちているからだろうか。 水は始原の故郷。 そうして木々は親しみやすい親戚である。 そう、心落ち着く場所で、言いたくなるのだった。
何故、生きてきたのだろう。 「習慣だからね」との言葉を呟いた人もいるという。 悪くない、いいや、「いいなあ」と。 習慣は続けるものだ。 それならいっそ、心地よい習慣に少しでもして、生きていくのがいい。
座談会の記事を読んだ。 関心が持てなかった。 方法が古くて仕方がないのである。 いっそ、会合での出逢いを活写したほうがいいだろう。 この際だ、ともに会合を作るところから活写したほうがマシではないかと。
小さいころしていた、かくれんぼ。 大きくなってもしているよ。 ほら、愛だの恋だのといった場面で。 見つけられたくはないのに見つけられたり、見つけて欲しいのに見つけられなかったりも。 一生続けるのかな?
いつも求められている強さ。 速さや優秀さもまた、同様か。 が、どんどん遠くなっていく、失われていく。 そもそも、持ち合わせがなかったものな。 「さあて、どうするかね」と、雑草の上で大の字になり眠った。
晴れて定年退職をする方が。 気軽に調子をうかがえば暗い声。 しかも重く、当然のことながら寂しそうだ。 深い理由があるのだろうか。 問えば、「あはは、驚いた? 実はさ、すんごく嬉しいんだ」と来たもんだ。
彼は部下に言ったそうだ。 「不満? 冗談ではない」 部下が憤って、当然の言葉を率直に放ったのである。 すると彼は――。 「おれのほうが言いたい、言えることがある」と、ともに役員のところへ出向いたのだ。
「こちらのほうから縁を切った」 そう、強く言い切る人がいる。 理由は、とどのつまり、あれこれと面倒だから。 現実は、切られた挙句の発作的な苛立ちだったりして? 切腹は嫌だものね、痛いものね、でもさ…。
ふいにキングコングを想い出した。 ただ、青少年がまず惹かれたという文脈でのことなのだが。 疎外感について想ったのである。 今、視直したら、どうなるのだろうか。 存外、高齢者にも響いてくるかも知れない。
勉強法の勉強が必要だ。 まず目次をじっくりと読む。 それから本文を早めに通過し、後は覚えつつ、しっかり読み込む。 これだけでスピードは上がり、覚えもよくなるという。 「勉強法って、勉強していないなあ」
「何だかなあ…」と痛感する日々に杯を空けた。 さりとて、スッキリできるわけもなし。 いつものように自律・自立ということを想う。 「それしかないよな」と力なく。 追い詰められた者の、最後の居場所である。
読みたいものだけを読んでいる。 まずいよなと。 誤謬があっても、相対化できないもの。 とはいえ、書店に並ぶ本に手が伸びないのは、現状維持、いや、肯定するものが増えているから。 嘘はもうこりごりなんだ。
議論は閉じてはいけない。 開かれようとすること、開かれ続けようとすることだ。 問題は議論の外にあるのだから、いつだって。 だって、そうだろう? 議論を終えたとしても、問題は解決されたわけではないもの。
月曜朝の雨は、たまらない。 歩き始め、「長靴にすればよかったな」と。 みなに抜かれていく。 そこで、周囲の歩幅と速度に合わせた。 が、少しずつ遅れを取ったのは、靴が濡れていたからだけではないのだろう。
朝、稀に出逢う父子が。 過日、子は、「いつも朝早くてごめんね」と。 車椅子を利用しての通学なのだった。 父は真正面を向いている。 ふいに子の顔を視て微笑んだとき、陽射しはもう商店街にも差し込んでいた。
鯉のぼりを視て吐き気を覚える女性がいた。 「当然だよな」 小学生を失った過去が。 泥水を視て浮かれるわたしのような間抜けも。 映画『ウッドストック』で視た若者たちは泥水で遊び、「健康的だったよな」と。
誰からも信用されていない――。 そのことに気づかないことに呆れる。 いや、違うな、気づいても平気なことに、理解が届かないだけか。 実際いるのだ、信用に無頓着でも生きていける手合いが。 感染症の如しか。
衰えたもの。 記憶力に瞬発力であることは、あきらかだ。 集中力、持続力もまた、心もとない。 弱体化した領域は、まだまだあるだろう。 だからといって、居直らず果敢に切実さと誠実に向き合っていくのである。
最近初めて視たことやものはあるのだろうかと。 半島の事態などを含めたくさんあるのだろう。 そうした中、水やりをしている見慣れた植物の生長が新鮮だった。 決してまっすぐにだけは伸びてはいかないのだった。わが街 [DVD]出版社/メーカー: 20世紀フォッ…