2013-12-01から1ヶ月間の記事一覧
変化には臆することなく――。 望む姿勢だ。 が、足下の水溜まりを忘却、大切なことを見失うときも。 放っておいても自然と手を出すこともあるが、やはり臆病がいい。 いつでも、どこでも、どのような場合でも。
空で鷹と鳩がともに飛ぶ場面を見た記憶がない。 山道では野の花と出逢った。 海で鮫とイルカが一緒のところにいた試しもない。 野の花は風に揺れていた。 どこにいようと共生のことしか考えられなくなっている。
老いたが、相変わらずの無知。 まだ成長したがっている? 言葉を使っている、毎日まいにち。 共有したがっているのだ、「これはいいなあ」と。 嘘つきも、ほら吹きも、盗人も、みな、ここに留まっていたいのだ。
本物・贋物を気にするとは、どうしたわけ? 戦争ごっこで満足していたほうがいい。 元気をつけようと無理に食べて、力を失うこともない。 無いという経験が無い恐ろしさ。 小手先はいらない、大昔からのことさ。
不運は、未熟で踏み外した結果? どうだろう。 ツケがきくならいいが、概ね無理、そも、返すあてもなし。 踏み倒しても、いずれ自分に返ってくるだけだ。 認識が教訓に結びついたとしても、もはや遅過ぎるのだ。
面罵されるなら問題なし。 自分に関する噂話を、何かの拍子で小耳に挟むよりは。 まずは、身心を整えていく。 どっちへ向けばいいのか、皮膚が感じる場合があるから。 そのときだ、出逢いの契機が発生するのは。
わたしもまたマガイモノ。 着物は身につけないし、パンを食す上に、集合住宅暮らしだもの。 いつの日本を取り戻せばいい? ただ、昔から変わってはいない。 雲を潜り抜けてくる陽射しに、人々が感嘆することは。
自分とは、多くの分断も包装されている自らの分身。 押し寄せて来る労働や息吹き。 端倪すべからざるものとして枝葉がついていく場合も。 ともあれ、韜晦・倒壊の凍解をと。 共感へ向かう場所が今も切実なのだ。
痩せる一方の想いに貫かれたときのこと。 テーブルの上には素朴な食事。 味覚だけではない、食べているとき。 色を、香りを、食感を食べていた。 何より、お前との会話が、美味しさをあきらかにしてくれて――。
凸凹でも一本道。 どこへ向かっているのか、あれほど急いで。 大方の予想通り戦へ? 上で余裕のある輩は、人を闘わせるものなんだ。 たとえ病んでいても生きていこうとするだけで健康と、意地でも記しておくか。
大切なことは、敬い尊ぶこと。 あえて価値をいうのなら、そこにこそ。 規律など、設けなくていいだろう。 国家さえ偽装表示の呈だが、流れに乗ろうとして、どうする? 今も小さくとも大切なものを手渡していく。
信頼して自らを曝け出せることが快。 腹の探り合いだけでは甘え方も失念を。 背骨を緩めて落ち着こう。 抱きしめているとき、抱きしめられてもいる。 今は、犬が腹を出して寝る如く、ボ〜っとしていていいんだ。
隠してどうするの? 戦時中の事実が今も発掘されている、古のことにしても同様。 未来へ歩むには、不可欠な営為なのだ。 掘り起こし、謎を解き明かして、半歩でも明日へ――。 隠して、一体全体、どうしたいの?
彼は言う、「いい物を持っているんだ」。 「何だよ?」 「石さ」と、宝石を見せるように鞄からそっと取り出す。 「投げないが、持っていると安心だぜ」 が、目を細め、笑った瞬間、川へ向かい力強く投げていた。
健康とは? 「感じないこと」と応えた方がいる。 「えっ?」と訊ね直せば、こう続いた。 「痒みや痛み、苦痛を感じず、楽に呼吸していれば健康でしょ?」 人災としての感染性飢餓には罹患したくない日々に――。
「美しいなあ」と感じ入るときがあるのだろうか? 棚田はまだ、あっていい? 人と人とが出逢う僥倖を奪ったと気づいている? そも、忘れたくないことはあるのか? 何より、夕焼けは等しく平等に降り注ぐとでも?
場所を、状況を、感覚を共有している。 だからだ、些細なことを理解できるのは。 たとえ稚拙な表現であっても、届いてくる。 単純な深み、複雑な怠惰でさえ。 集中していなくても、しっかり体感できるのだった。
自分は探すのではなく、創っていく対象。 つまり、関係へと赴くのだ。 労働の仲間がとろいからといって、こけにしないこと。 ダチになる可能性を、あえて失うことはない。 壊れていく者同士、今も支え合おうか。
君が書き送ってくれた手紙。 夜半、酒を呑みながら読んだ。 現況が文章から立ち上がってくる。 幾度も初めから読み直しては、心配したり、喜んだり。 そうして、食卓の上の手書きの文字を、ただただ眺めていた。
アベにアソウ、モリ。 まだいる、まだまだいる、ウジャウジャと。 ただでさえ物覚えが悪いうえ、加齢で記憶力は減退、それ故、記して留める。 イシバにマチムラ、ミハラと…。 書き切れない軍靴の紐を結ぶ人々。
告げ口は嫌だね、卑劣だね。 ただ、皆がせざるを得ない時代になったのかな。 だから、歌ってみるよ、調子っぱずれでも。 海へ、山へ、空へ向かい、腹の底からの大きな声で。 できれば、獣が眠りについたときに。
明確でないこととは? 人類が発生した場所から宇宙の果てまでと、それこそ、たくさん。 ただ、言葉で示すことはできる。 境界を越えていく、いや、開いていくのが、人だもの。 「すべてを開示せよ」と強く願う。
内容を詠っていたのではない。 単に懐かしい風景を確かに描きたかったのだ。 時代という故郷、故郷という時代で呼吸を重ね。 結果、芽生えてくる郷愁、実はヴィジョン。 平凡な特別に包まれる解放へ向かいたい。
身体と生きている。 自分でさえ見たことがない自分の内部で、内臓は自動的に働く。 休みもせずに。 できれば1日1度、その声をしっかりと聴こうとしている。 自分という他者に対して行う欠かせない仕事なのだ。
出逢うために生きている。 そう想ってきたが、どうにも座りが悪い。 が、事実だ。 真実に、安心に、親和力に出逢うため呼吸を重ねているが、具体性に欠ける。 だから、あなたに、君に、お前に出逢うのだと記す。
明確な時刻が必要ではない人生。 どれほど潤いをもたらすことだろう。 花を土産に、逢いにいくことだってできるかもしれない。 新鮮な方向感覚を、いつも体感。 過去を思えば、未来に触れることにもなるだろう。
奥へ奥へと、歩を進ませて行く。 嬉しいことに遭遇できるかも知れない。 運よければ、1人で歩く人たちと出逢えるのだ。 互いに軽く挨拶を交わす。 そのとき、互いの間に走るのは、親和力以外の何ものでもない。
今日、広告の善悪を問う暇はない。 あり余る時間があったとしても。 ただ、恐ろしいことに、すべてが広告化していくとは記しておこう。 物語に依拠した詐欺もあると。 今もまだ、身心に必要なことを求めている。
食べられるうちは元気な証拠という。 が、事実なのか? 食すことにより、生命力が薄くなっていく場合もある。 無理に口にして、調子を崩していることに気づかないときがあるもの。 美味しさは、不思議なままだ。
余裕はないが、ウダウダとはできる。 病とはお馴染みで、浮かぶ瀬はないままだ。 しかも、月下に、のっそりかんと歩く技は持っている。 財布は重いよ、実はジャラ銭ばかりだから。 カンラカラのヤケクソだべさ。