2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧
極北の寒さがもたらす孤独。 いつか春が来るからと耐え忍ぶはずだ。 が、とろけるような温かい陽だまりがもたらす孤独だとしたら? 何をどうすればいいのか、戸惑うはずだ。 息抜きも阿片の時代に、月を愛でる。
今、乗っているのは、消えかかった泥舟。 今後、乗ろうとしているのは、誰も乗ることができない見栄えだけの紙舟だ。 が、大丈夫、お前がいれば。 そう、ヘラヘラしつつ歌う。 大船に乗ったような気分さと――。
「怒髪天を突くとはこのことか」と彼。 「憲法違反でも平気なのだから、もはや改正する必要もないな」 手酌でまたグイッと日本酒を。 「いたたまれないということだよ」と目が座り始める。 おそらく、わたしも。
横断歩道の手前。 1人の子どもが、ポツネンと赤信号を見つめていた。 横を、大人たちが信号を無視して走り抜けていく。 朝の、いつもの時間帯、いつもの情景。 あの子の心の底に、今日もたまっていくものとは?
彼は、家族と労働のことは話さない。 「疲れているし、面倒だもの」 結果、居間のテレビの存在感は増すばかり。 思わず、脈略のない茶々を入れていた。 「じゃ、帰ったとき、天地茂と天津敏がいたらどうする?」
特に目新しいものではない。 右を左へ移動し、左を右へ運ぶ。 縦を横へ、上下を逆さまに。 そうして、キャラクター作りも。 購入させようとしているのは相変わらずイメージ、「腹にはたまらないね」という按配。
これから死んでいくところらしい。 が、苦痛ではない。 どうしてなんだろう、こんな状態なのに。 分からないや、きっと死ぬ瞬間まで。 おまけにもう死んでしまうらしいから、少しだけでいい、静かにしてくれよ。
自分で自分に命令する幸福? なるほど確かに、外から押し付けられたことではないのだもの。 が、自分に命令はしたくない。 わたしは他者、他者はわたしだ。 押し付けたり、強いられたりすることは、すでに暴虐。
山から、川から、海から聴こえて来る。 大地からも。 「あって当然の、不測の事態」という静かで、低く、深い声。 一個の全体、全体の一個――。 寂しく恨んで、悲しく追い求める想いが、一挙に噴出する身心だ。
陽射しの下に新しいものなし。 すべて永続する今・ここに出現している。 古代も未来も隠れ上手、見分けられず見失っているだけ。 青空に驟雨、土が明らかにしていることだ。 問うて、乞うことも古からの営為。
とうに引き金に指はかけられていた。 いっそ爽快なほど静かだが、弾丸は飛んでいる。 おぞましい集団のサイン入りだ。 撃ち抜かれないためには、せざるを得ないことが。 暮らしていくために殺されてはならない。
ひらめかなければ書かない。 ひらめきを降らす手順がないわけではない。 そのくせ、ひらめいただけで書くことはできない。 単に技巧のことを伝えたいのではない。 それにしても何故書くのか、今日も問うている。
ピンピン、ピンピン素寒貧。 今日も今日とて素寒貧、どうしたってこうしたって素寒貧。 ピンからキリまで素寒貧、ピンカラピンカラ素寒貧。 エッチラオッチラ素寒貧。 何だかんだの素寒貧、今日も生存、素寒貧。
追いかけるだけのマスコミ。 巧みに隠すため、時々刻々と奮闘を。 情報の横流し業者たちは、何を描きたいのだろう。 温かいシーンもまた、何やら薄ら寒い。 今ここで暮らし、ヴィジョンを提出すればいいのだが。
年を取り、実感中だ。 いろいろ面倒だなと。 嘘、ついに偽悪であれ、偽善であれ、うとましいばかり。 そうして、どうなのかといえば、単に呆けているだけだ。 「だから、どうなんだ?」という問いも遠いままで。
何度もなんども出かかった言葉。 が、会社員は奥歯を噛みしめていた。 何も語らない、語ろうともしない。 ただ、天井を見上げるばかり。 眼差しがゆっくりと落ち、上司に届くまで、時間はどれほど経っただろう。
場末に吸い込まれていく。 現行法から、はみ出し、はみ出され、なおかつ生き延びている場所。 気楽で安心できる居場所だ。 「低くあれ」と教えられた。 つか、低いところに居続けてきた自身が、もう場末なのだ?
唄という会話。 楽器との、声との。 低く、高く、浅く、深く、あちこちを行き来する。 明日は明るい日と書くが、明後日は明るい日の後の日。 明後日を嗅ごうとしつつ、いつしか唄を通じた対話しているのだった。
蹂躙した他国への謝罪。 して当然だ。 が、和解を希求するなら、外交上のきめ細かな戦略・戦術が問われている。 無論、誠意こそ基本だ。 悪そのものを率直に認め続けることから、日々は立ち上がっていくだろう。
わたしたちは平和でなければならない。 戦争で亡くなられた方々を奪還するために。 生きていくのだ。 そうして、抱きしめ、対話をしていく。 英雄を生むしかない道のりは、すでにして発狂してしまっているのだ。
寄り道は、実は懐かしい居場所。 紛争や闘争、戦争に寄り道はない。 あってはいけないからだ。 そも、寄り道している暇がないのである。 「ここのところ、だめだよなあ」とバスには乗らず、大雨の中、歩き出す。
不測の事態のときである。 高齢の女性にも襲いかかる戯け者の男が出現。 声を失ったうえに言葉さえも消えていく。 お前はお前の夜の中をさまよい続けろ。 闇の意味さえ分からぬまま、あくびも禁止されるがいい。
通勤時、若い男性に押されてしまう。 彼はひと足先に電車内で座っている。 真向かいに座って想う、「美しい方だなあ。でもさ」。 身体動作も含めての美しさだ。 「おれは、ああした男の女になるつもりはねえな」
夜の遅いバスに乗っていた。 南から北へと向かっていたのだ、唄を脳髄で鳴らしながら。 展望? ありゃあしないさ、あったら化け物だよと、唄に言葉が被さる。 そのくせ、乗客たち同様、月を眺めていたのだった。
働く、働き続ける。 暮らしていけないからだ。 相変わらずの経済・家計ばかりだ。 寂しく虚しいが、言われなくていいような件で罵倒されもするだろう。 衣食住だけで済ませられない泥水の中、月光は落ちている。
効率ばかりの日々に、熱いお茶でひと呼吸つける。 反戦・非戦に軍隊の規律は必要ない。 ときに寄り道した道に遊ぶ。 しかも、寄り道からも寄り道を。 ときに、道ばたにしゃがみ込み、脚を放り出して、大の字に。
充実とは何だろう。 あることだけでなく、ないことをも含めての充実なのである。 つまり、充実した、ない、ないことの充実。 ないことが単にないのではない。 座っていると、あるなしも消えて呼吸となっていく。
「生きがいがなくても生きていけるようになれ」と自らに相変わらず。 望むこと自体、暑苦しい。 そも、詮なきこと。 むしろ、死を想えと。 生きがいがなくても生きていく、生きていけることこそ、拡充の一里塚。
始発駅で座る。 7人掛けのうち4人は居眠り、2人は小さな画面を見詰めていた。 残る1人は亡羊と。 「休日なら眠らないはずだから、ストレスなんだろうか」 わたしは鞄から文庫本を出したが、曇天をうかがう。
夏に、生きているだけなのではない。 夏へ向かって、旅してもいるのだった。 夏を、身心で浴びながら。 首すじを焼く陽射しの下、入道雲が笑う。 すでにして、夏の身心となってしまったとしても、夏を求める夏。