2008-01-01から1年間の記事一覧
今年も1年中、 年末のようなあわただしさだった ニッポン・チャチャチャ。 大晦日の今日も静かに寿ぐ。 生き延びられ、 来年を迎えられそうな今、この時を。 また、明日。
片付ける端から埃が飛来、 気分は夏の雑草刈り。 いっそこの際、小柳ルミ子と化して大掃除健康法さと。 実は単に二日酔いオヤジの、 私の浄化待ち。 って、すぐに燃えるゴミが、 なあにブツブツ言ってんだか。
かつての突出した音楽を、 懐メロとして聴けるほどには、 時間が経過した。
12月の朝、 あたたかく、やわらかい部分を見つけようとする。 発見できたら、しめたもの。 地上に初めてやってきた人のように、 深く、広がっていく呼吸をしよう。 そうして、やさしくふれてみるんだ。
言葉から、1人ひとりの表情などは見えてくる。 なのに、町ですれ違っても気づかない、気づけない。 知らない顔。 面が白くなる。
今年、かつての定年の年齢を迎えたが、 どうにも幼く、 前のめりという時代病の痕跡は消えない。 いっそこのままヘラヘラいくにしろ、 死んだことに気づかなかったなんてないようにしなくちゃな。
やさしさという言葉さえ不要な、 親和力に満ちた場所で暮らすため、 手を打っていくだけさ。
今同様、昔にも回帰志向はあった。 昔同様、今にも未来志向はある。 一方だけに属さず、 未来に活かされる昔としての今夜だといい。 半端な仏教徒だが、 幸せな聖なる夜が、 皆に、地上に、訪れんことを。
「詩を、もっと詩を!」 なんてさ。
その言葉、 おふくろや、おやじ、 何より子どもたちに、 読ませられるかしら?
カジュアルで、そのくせ陰湿な皮肉程度しか言えない、 中途半端なマイナー依存症。 きれいごとや嘘八百、偽善なんぞを呑み込み、 それでもなお破格の笑顔で、 スクッと立ち上がらなきゃあな。
何だか分からないお茶やサプリ、 拷問の道具を起源とするスポーツジムの器具等が 人気だ。 小太りのほうが長生きするという事実の肩身は、 狭くなっていくばかりか。 いつものことにしろ、やなこった。
今朝の通勤時、天高くに半月。 薄く、だが確かに輝いていた。 その唐突な祝福に、 明るい忘我の場所へと連れて行かれ、 しばし足をとどめるばかり。
求む! 人材ではなく、人物!!
単に面白いだけでは、今や楽しめない。 突き抜けたバカバカしさや、 底抜けのやさしさもなけりゃあ。
必要とされれば、 テレビで、犯人が誰か明かす寸前だとしても、 駆けつけるよ。 ただし、転びつつ、妻子とともに。 たどり着けたらめっけもの?
ハイネックのセーターから、首がようやく出る。 顔が真っ赤な爺さんの、照れくさそうに泳ぐ視線。 その先に、私。 目と目が合い、思わず会釈しあう。 冬の脱衣場の暖よ。
怒らざるを得ない状況下、 怒りという物質が、 残留農薬のごとく、 いつまでも苦しみを生産していくことは、 知っている。
生が喜びばかりなら、 この世を去りがたいことにもなるだろうさ。 痛み、苦しみ、情けない思いをすることもまた、 死を受容できる、 とどのつまり救済なのだ。
自分を承認するためにも、まず自分に嘘をつかなければいい。 仮についたとしても、つかない努力をしていればいい。 そうして、後は小銭と健康。 それだけあれば、きょうび、まずは上等なんじゃあないか。
ありがたい冬の日差しが、目をつぶすこともある。 その一方で、うとましい夏の陽光が、冬の望みとなることもある。
事態のどれもにコメントを求められているかのような情報社会で、 情報化されていない、実は情報化できない、 静かで、落ち着いた暮らしが、今もなお息づいていることを、 忘れてはいないさ。
冬の野外、 暖かい場所に腰掛ければ、 身体は喜びつつも、 四季を同時に、 かつ瞬時に感じ取っていく。
雨漏り激しく、 家の中は、 びしょ濡れニッポン・チャチャチャ。 夜の月明かりが、 一縷の望み、ヴィジョン。
今・現在の戦争犯罪もまた、 生き延びていく。
手のひらを眺めてみる。 あきることなく。 あきたら、 何故あきたのか、考えてみる、 自分の手のひらなのに。
人生120年時代ともいう。 なあんだ、 後、65年か。
有史以来一番新しい冬に、 この身一つ、 ゆっくり息を吐きつつ、 肩の力を抜く。
寒い曇天の下、 胸をそらすのではなく、 背骨を1つずつ丁寧に積んでいく感覚で、 背筋を伸ばす。
キリストが聖書を読んだら、 何を感じ、考え、 どう思ったのだろう?