2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
気づく、パソコン周辺に置かれたDVDに。 「そうかあ」 映画を視たい視たくないということで、今の気持ちの奥底が分かるなと。 コロナ禍の日々は現実だ。 結果、リアルな映画にさえ、手が伸びなかったのかと。
ごまかしがない頑張り。 嘘偽りのない空間は気持ちがいいものである。 故に、張り切るのだった。 実際、何のためらいもなく嘘を吐ける輩が消えれば、ほっとする。 後は、1人ひとりが出逢っていけばいいだけか。
人という肉と、物としての外の世界。 肉には空気や飲料水、食物などが出入りしている。 口から肛門まで1本の管とは言い得て妙だと、あらためて。 肉と物と管という生存の基盤。 遥か遠くからの陽射しが眩しい。 草間ルミ - 時計をとめて
正しさを声高に主張されると、どうにも困惑するときがある。 相対的なものだからだ。 いや、絶対的正しさは、断固としてある? どうかなあ…。 正しさは、時代の変遷とともに、変わっていくことがあるのだから。 Jackson Browne & Joan Osborne - My Back Pag…
人はどこから来て、どこへ行くのか。 大切な問いだ。 そうして、今いるここも十全には視えない。 だから、過去・現在・未来の三位一体化した今という視点をと。 和平を求め切れば、視えてくることもあるだろう。
理性が大きく間違えてきた歴史の一方で、「感情は大きくは間違えない」との言葉。 事実、非戦の想いは続いてきたのである。 季節を感じ、青空を探し出す。 古の人々と通じあえるかなと。 未来の人々ともきっと。
言葉の未来について語ろう。 今の国家語を超えていくために。 1つひとつ視る、文脈もとらえる、しかも両者を把握して。 できなくていい。 立ち上がってくるものがあるなら。 未来の言葉を聴けるかも知れない。
わたしの死として今を生きていく。 死んでいるときのほうが長いのだ。 死こそ常態なのである。 大雨だろうが、晴天だろうが、その上の宇宙に関係はない。 地球は薄い皮膜で守られているが、人もまた同様だろう。
米国との戦争を知らぬ人がいると知ってたまげた。 が、若いわたしも同じようなものだったのだろう。 元教授が、「今、学生なら落第だな」と。 学問が細分化、覚えるべきことも増えたからとか。 ヒントになった。
ところで、見えない放射能はどうなったのか。 まだ飛来しているのだろう。 すべてはコントロールされていると言った御仁。 今も心さえ感じさせないで居座っている。 暴動やテロという言葉さえ失われ、陽は昇る? Viaggiatori Armonici - BIG COUNTRY (Béla …
大切なものとは、一体何だろう。 生きるための飲料に、もちろん食事も欲しい。 医療に教育、福祉も必要だろう。 昨今もそうだが、何より情報も重要になってくる。 以上、すべてが、「やばいよな」の情況である。 "Watermelon In Easter Hay" 2015.8.28 映画…
怒るのは骨が折れる。 漢方の世界では、肝によくないと指摘も が、「肝心なことで怒らないで、いつ怒るんだ」との声。 とはいえだ、今や毎日どころか、毎時間毎分毎秒、怒ることになる。 要はバランスなのだが。
「あの声では、嘘を言えない」 なるほど確かに、自分で自分を律している声。 声を作っていき、その作った声がまた、隠蔽や改竄も遠のけていく。 渇いた喉を潤す水としての声。 「おれも、声へ向かって行くかな」
9月11日。 報道をテレビで視て、「ざまあみろ、思い知ったか」と発語した高齢女性がいたという。 欣喜雀躍だったかどうかは知らない。 自作自演等の話もあるが、それは今、置いておく。 ただ、言えるのは、敗戦後、戦中派は生きていたということである。
生き延びていこうと想う。 すると横から、「でもさ」の声。 「生き延びられたら次の絶望や恐怖、悲哀と出逢うだけ」というのだった。 しばし実感のときが。 「でもさ、それでもなお」と言うしかなかったのだが。 けいおん!×大瀧詠一「あつさのせい」
大声を上げていたという。 「今にして想うのね」 聴き手の身体は動かなかったが、動けなかったが、まさに身を乗り出す按配か。 「息を止めないためにも、よかったかな」 そうだ、呼吸はまず、吐くところからか。 Eiichi Ohtaki - あつさのせい
拒絶しながら、実は誘っていることがある。 もちろん、誘いながら、拒絶していることも。 ふと、マスクで顔を覆い実は露わになっていることがあるなと。 それは一体何なのか。 孤立する自由と、ふと想うことも。 Roberta Flack - First Time Ever I Saw Your…
心を歌うためには距離が大切という皮肉。 せめて身体・心・理性のリズムなどをメロディーにのせていこう。 素材をリズミカルに身体化していくのだ。 歌詞を歌っているだけでは唄ではない。 唄は声の踊りなのだ。 It's Not the Spotlight books.bunshun.jp
大切なこと。 まずは言葉を自由に発せられることである。 つながっていくことも求められているだろう。 いろいろなものや、ことがある点も捨ててはいけない。 息が苦しいのは、考えたくない苦しさの1つである。
夜、枕元に整えておくという。 翌日の衣服や持ち物を。 「子どものころ、躾けられたからね、酔っていてもしてしまうんだ」 「新しい景色より、新しい今のためかなあ」と言われてしまった。 今夜もするのだろう。
愉しい変化といえば、例えば音楽。 ないものねだりをしていても仕方ない。 根源さえ揚げ足取りの対象になってしまう情勢下だ。 せめて変化していく音楽の過程を楽しもう。 浴びているときだけでも元気ならいい。
王道に興味がなかったのは何故だろう。 脇道に入って、寄り道を。 しかも、道草を喰って、ついには道に迷った。 そうして、とにもかくにも、歩き続けてきたのである。 今後も同じだろうが、後何回、迷えるのか。
「この国がどうなろうが知ったこっちゃない」 「本当かよ?」と問う。 すると彼は言う、「だって滅茶苦茶だぜ」。 「どう物を買わないかばかり考えている」とも。 「でもさ、大切な連中がいるからな」と苦笑を。
遅くていい。 分かるのなら。 小さくて少なくてもいい。 しっかりと身心で受け止められるなら。 急いで、大きく、多くを求めるようでは、ろくなことにはならない。 壊れたものが、目の前に広がっているだろう? ※もちろん、騙されたり、足を引っ張られたり、…
「ここがアウトなら、もはや」 そうしたかけがえのない場所をいくつ持っているか。 いや、知っているか。 どんどん削られ、なくなってきている。 が、豊かさの指標があるのなら大丈夫な場所の量ではないのかと。 風をあつめて (Gather the wind) - Happy End…
2011(平成23)年3月11日。 以降、知ったかぶりを恥じて来た人もいた。 分からないことを分からないと認める率直さ。 実際、分からないことだらけだったのだから。 が、考えることは、捨てないできたのである。
敗北感に蝕まれるときが。 存在の源を失してしまうからか。 が、すべてがそうでないのは、他のことと似ている。 嬉しい敗北があるのだった。 率直にシャッポを脱いで拍手を送りたくなる敗北。 いいではないか。
ヨーガの教室も開かれていなかった。 久しぶりの再開を愉しむ人々を夢見る。 その新鮮さは、再会の新しさ、新しい再会でもあったのだ。 自分の快を、他者もまた感じていると体感。 生は悦ぶことを忘れていない。 Pretty Bird
薬物の生体実験を受けているようなものだ。 実は、食品でのそれのほうが重要か。 いつでも、どこでも。 味覚はもとより、五感さえコントロールされて? 土へ向かっていくところから始めるしかないのに、今や…。
手紙が届く。 封を切り、文字の書かれた紙を取り出す。 一読再読をしてしまい込んだが、また取り出して読み始める。 「今どき手紙かあ」 物として、事として、しかも想いとして、手のひらの上にある紙の温かさ。 Bob Dylan - Can You Please Crawl Out Your …