2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧
全身が緊張。 が、ふいに力が解けて抜け、溶けていくことを体感したそうだ。 その瞬間の艶やかな充実。 すべきことはした、後はただステージに全身心を委ねるだけ――。 軽く跳躍したとき、実感したのだという。
「働いているときはさ」 定年後の彼が話し出す。 「街から街へ、ただ足早に通り過ぎていたよな」 が、「今日、知らない街を歩いたとき、よくてさ、いい街だなと」。 新鮮な想いが彼の身心を今、明るくしている。
確かに完璧は完璧にない。 絶対もまた絶対にないだろう。 永遠も永遠にないのだった。 完璧・絶対・永遠という哀しいほどの観念の誕生。 わたしの中にもいるはずの億の命を想ってきたが、十全には体感できない。
靴を万足持っていたとする。 収納できる下駄箱があるということだ。 が、それがどうした。 そも、靴は履いていくうち、足に馴染んでいくもの。 もっとも履かなくてもすぐに合う高級靴があって、下駄箱は体育館?
様式は、変革から逃亡する技術だ。 が、子どものころの身体遊びを、無意識は記憶している。 声と一緒に跳ね、潜り、走ることが拡がっていったものだ。 縦横無尽なアナーキーぶり。 その様式を、実は何と呼ぼう。
役に成り切り見事だと体感させる反面、白々しさを覚えるときも。 照れはないのか、訊ねたい。 自分自身を役へと放っていったほうがいいのではと。 役者のみならず、会社員もまた。 夕陽の役を演じる際の心得だ。
友人曰く、「下手とは何?」。 画廊でのことだ。 「技巧がなくて味わい深い作品もあれば、巧みでダメなものもある」 技術の先と、こちら側を開示する展示物という水路。 その上で、しばし揺られていたのだった。
この命、自分だけが使うのだとしたら? 意味や価値、おまけに明日どころか、今日もなきに等しい。 握り締めた発見は手放すに限る。 それが愉悦なら、すでに刻まれているだろう。 人に滲んでゆく発見の真を想う。
休息は活動の母か、父か、あるいは――。 ただ、休むと調子を崩してしまうときが。 現場復帰に時間がかかってしまうのだ。 身心がバカになっている? とはいえ、内臓が休むことはないし、そも、呼吸もまた同様。
困難が立ちはだかったとする。 それまでの考え方にこだわることは、一切ない。 詩を捨てて、商人になった例もある。 主義主張程度は変えていい、いや、変えざるを得ない。 生き延びていく、そのことのためにだ。
雪崩の如く押し寄せてくる困難? いや、困難はいつだって雪崩。 否定していたって始まらないが、だからといって肯定するわけにもいかない。 差別・区別の源を嗅ぎ分けていく。 深呼吸できる場所を奪取するのだ。
過去を語る場合、当時の想いや雰囲気、感じ方等を切り捨ててはならない。 取るに足らぬ文脈に、時代の相貌が現れる場合も。 今の身心だけで視ても、何も届きはしない。 いや、誤謬の上塗りが続いてしまうだろう。
「話、聴いてくれるかな」 「何かあったのか?」 「ちょっとね。奢るからさ、一杯つき合えよ」 「仕方ねえなあ」 本ブログに来ていただいた方々に、「ありがとうございます」との常套句を、万感の想いを込めて。
自由に遊んでいいとしたら? 自然が豊富な場所へ行こう。 まず、叫びそうにない木を探し出して、簡易だが、大きな机を作るのだ。 そうして、粗末でいい、素朴な椅子も作る。 居場所作りという居場所を愉しもう。
戦を取るか、貧しさを取るか。 究極の選択の如き場所へ追い込まれている? 息の根を断つことばかりだ。 が、とどのつまり自国の充実、そうして他国への贈与が基本なのである。 たったそれだけのことなのに――。
社会人の原則は、「好かれることにあり」との言。 それはそうだ。 嫌われては商売あがったりだもの。 ただ、好かれようとすること自体、嫌われる場合も。 人を押しのけずに、淡々と食べられるというヴィジョン。
眠りが身心への贈答品の如きときがある。 眠ることができるだけで、安堵の日々。 夜空には静かな音が舞い、月に星々も。 寄り添う者がいるといい。 仮に1人であったとしても、自分で自分に寄り添えばいいのだ。
音楽を好きになったのはいつからだろう。 授業によってではなかった。 だって、そこには肝心な渦がなかったもの。 音楽は展開していく。 つまり、次々に出逢っていくことの魅力に、つかまってしまっていたのだ。
お前が、おれの名を呼ぶときのことを思い出している。 不思議なものだな。 お前のほうから吹いて来る心地よき風。 ときに砂埃が舞う事態も。 今日、おれは心を込めて、ありがちだが、特別な、お前の名を呼ぼう。
二極分化も多極分化へと。 資金・資材が世界中を走り、流動性も増した。 赤い血が黒くなるかの如き変化。 が、富める層は富み、中間層は解体され、貧しい層はやはり貧しいまま。 変化の源の変わらぬ桎梏が今も。
小さな画面を開く。 そうして結果のみを知り、過程を、心底を体感しない日々。 読んでいて読んでいない、視ていて視ていない。 通り過ぎるだけの、実は人々。 広く長い交差点は早めに渡り切ろう、出逢うために。
手紙を書こう。 届くだけで、小さく喜ばれるような。 文字を1つひとつ、手で書いていこう。 記すことが当たり前となった暮らしを想う。 負担にならず、返事を書きたくなるような手紙の場所は新鮮な懐かしさだ。
7人座席の5人が小さな画面に夢中。 隣の人もまた。 こめかみに血管が浮き出てきている? 何のことはない、ネット上の宣伝に細かく時間を奪われる己を視た。 ガラケーを閉じ、車窓から情景の変転を眺めていく。
乾燥する季節に大切なのは潤い。 「肺臓の元気が健やかに暮らす要」とは漢方医。 そうした折、半袖でプラットホームに立つ。 涼しくて裸になったかの如き心持ちに。 乾燥した肺臓が身心を一段とむき出しに――。
内心重いくせに、軽く気づいていた。 彼女が、見知らぬ男と連れ立って歩いて来ることを。 一本道でのことだった。 すれ違いざま、彼女は奇妙な動きを。 軽くジャンプをして、「元気だよ」と声を上げたのである。
今日も安定とは程遠く、貧しいままで。 哀しくも寂しく、晴天にさえ気づくことができなくて? されど、暮らしていくことができる道のりをと。 「豊かさは、豊かなのか」 そう妄想、いや、正直に、体感しつつも。
風が吹き、埃も舞う。 片づけができずゴミ屋敷に。 哀しみにつかまっているのだとしたら? 身心は急ブレーキをかけ止まったまま、老いがあり、手立てもなく。 解決できぬまま、解決につながる方途はないものか。
気づけば、まず靴を手にしていた。 とにかく、逃げ切るんだと。 どれほど走ったのだろう。 肩で息をしつつ、振り返っては、安心を確かめる。 手を視れば、ふるえながらも、靴をまだ強くつよく握りしめていた。
木々を見詰めていて、厭きないのは何故だろう。 1本という単純さに隠された複雑な文脈。 あたりには清涼なる空気も漂って。 そこへ向かって行く。 日ごろの息せき切った歩行は、不思議とゆっくりになっている。
わたしたちは繁殖しているが、当然のことながら消えてもいく。 1本の杭を打つ。 寒くとも汗がほとばしるはずだ。 陣地取りのためでなく、立ち上げていくために。 そうして、住んで澄めば済むこともあるだろう。