2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧
中性的という言葉を体現した、実は男。 あるいは、女。 戦略が臭って来たり、下心が見えてしまったり、逃亡の度合いが分かったり。 商品社会の手軽な感情商品。 巧い必要はないが、「唄、巧くなるのかなあ」と。
北風と太陽。 北風という太陽はあるし、太陽が北風を孕むときもある。 北風と太陽の間には微風や涼風も。 二極の間、一極から一極に滲む単純な複雑さ。 ほどよい北風に吹かれて、桎梏の太陽を浴びる日もあるさ。
グルグルと変化してきた。 目の前にあるときだけは己がもの・こと? そうした中、自然は子どものころと変わっていない様子。 だから、往時を簡単に想起させる。 汚染され、もはや違った在り様になったとしても。
虹だ。 そうさ、あれは虹だ、恐ろしいほどに美しい。 束の間、呆気にとられ、惹きつけられる。 が、あの美が、残酷で理不尽な事態を開示するときもあるのだ。 そも、何故、美しいと感じるようになったのだろう。
柔らかい土の上で、久しぶりに太極拳を。 重心を保つことができず、倒れそうに。 脚力の衰えが身に沁みる。 何よりバランス感覚の衰えが寂しい。 重心が新たな重心を発生させることに想い至り、今日も舞おうと。
グルリを確認する、人はいない。 目の前には一本道、目を閉じて歩き出す。 ゆっくりと少しずつ、足を出していく。 怖さや、それに類する感覚につかまってしまう。 と同時に陽射しを体感して、「いいなあ」とも。
やって来た、予定通り正確に。 罠は見破られないように。 いや、分かっていたとしても落ちただろう? もはや茶色一色ではなく、カラフルに何だか清々しいほどである。 気のきいたことばかりだが、罠は罠である。
歳月を経るにしたがって、病む身体へと。 違和感が生じて、痛みも発生するのだ。 老いて、くたばる道程――。 それでも、不思議と、夏の身体がささやき出すときが。 1歩、あと半歩と進み、拭うものさえ生じて。
春なのに寒かった。 それもそのはず、大雨に強風。 バスに乗るかどうか迷ったが、横断歩道を歩き出す。 すると、狙っていたかのように救急車が走って来る。 苦笑も浮かばず、水浸しの靴の中に想いは走って行く。
「何だか、気持ちが悪いな」 度をこした低姿勢に猫撫で声、おまけに意味不明の笑顔。 要は、腹に一物といったあたりか。 衣替え後の寒波を喰らったときの自爆感? この際、ステップを踏んで、大笑いしていくさ。
月曜日は早い時間に駅へと向かう。 信号も気にしなくていいのだった。 ただ、駅周辺ともなれば、すでにして人・ひと・ヒト。 何だか皆、重い色の衣服を身に着けて、顔色が悪い。 活気を醸成しようとしながらも?
通勤電車で書類を読み、できる範囲の労働を。 追われて、せっつかれている、逃げられない。 が、労働への意識を遮断。 思いつくことを転がしていくことに。 来訪した微かな豊かな想いは、手掛かりになるだろう。
友人がメールをしてきた。 「雀を見なくなったと思わないか?」 「確かに」と、ウェブで検索を。 天敵の増加や居場所の喪失等が誘因云々と。 が、思っていた、「雀の減少に気づく暮らしの幅が欲しいよなあ」と。
大切なものがある。 大声で言うほどではない領域に。 そも、声を大きくし始めた途端、視えなくなる細いほそい道。 ただでさえ視えにくいのだ。 両目を開けたりつぶったりしつつ、感じようとするオープンロード。
労働で数字を落としてもまだ、逃げ道はある。 が、無策もさることながら、怠惰ならば致命的だ。 おまけに、傍若無人――。 数字へのこだわり、グッドアイデア、刻苦勉励が求められているのだ。 何より、誠意が。
四半世紀以上も前の休日、豪邸へ。 食事を届ける方に同行していた。 中にはご高齢の方がベッドで1人、ぽつねんと。 家族は別棟で暮らし、庭でバーベキューを。 ささくれ立ったが、食事が届くだけマシだったか。
華やかで美しくあっても、意味はない。 理不尽ならば。 筋道が通っていて反論の余地がなくても、逃げ出したい。 排他性に満ちた体系ならば。 美の理性・理性の美が渦巻いていても昼寝が魅惑的な身心の事態――。
眺めていて、「何だか、うとましいな」と。 これは、一体何か。 問題は風景にあるのではない、具体的な周囲が問われているのだ。 周囲には、自らの身心も入る。 気持ちの悪い自己愛から遠い疎外感が切実なのだ。
「富士山を撮るのではない」と彼。 要は、「富士山の光を撮るんだ」。 しかも、「空間を意識、奥行きを表すんだよ」。 結果、二次元に三次元が定着を。 写真という物語が発生する瞬間の話を聴いていたのである。
テロをなくすことは重要だ。 が、何故、殺人に走るのか、原因を解明、対応すべきだ。 そも、大量殺戮を続ける大国の大義の背景には貨幣。 雨の如く降る弾で家族が殺されたら? 震えながら泣くだけでは済まない。
もう、コートは脱いでいた。 そうして、木々の中へ入り込む。 当然のことであるが、見る場所によって表情は違ってくる。 が、その魅力にかわりはない。 一切捨てることはないままで、脱いでゆく生命の立ち方――。
桜が散って花びらは1か所に集まっていた。 身を寄せ合っているかのよう。 埃や泥を隠すのが仕事? 先の東京オリンピック以降、野良犬を視なくなった。 次の大会では隠すものもなく大切な声がかき消されていく?
吐き気も忘れるほどの喪失。 茫然自失となり、気づけば嘔吐をしていた。 その後も生きてきたが、支えるものは何だったのだろう? 思う。 支えるものもなく、ただもう呑気に生きていけることこそ、望みだったと。
人を動かす力とは一体何だろう。 どうして生まれるのか。 例えば、欲するものがあるから? それが、静かに暮らしたいことなら、果たして――。 原動力などなくても、ただ静かに呼吸を重ねることができればいい。
散歩道を進んでいるときのことだ。 目を打つ視界を遮るものが舞っていた。 苦ではなく、気持ちが静かに高ぶる。 「花吹雪とは巧いことを」 もはや遠い昔、飛び立っていった青年たちは、現在をどう思うのだろう?
陽射しのもと、1本の老木の前へ立つ。 ゆっくりと、しばし見上げていく。 大きい、高くて風格がある。 が、どこか、脆そうな気配も漂ってきて――。 「そうか、やっぱり桜だったんだな」、そう話し掛けていた。
朧ではあるが、恐怖政治であることに変わりはない。 そも、グルリは恐怖経営がそこかしこに。 慣れてはいけないのに、慣れてしまう。 萎えるばかりの筋肉と吐き気ばかりの胸の内。 熱いお茶からまだ離れられぬ。
昨日は先週の労働に追いかけられた。 今日は昨日すべきことをしている。 明日は明日のことができるだろうか。 子どものころ読んだSFの如き空間で、今を呼吸。 公園ではつながれた犬が空に向かいアクビを――。
心地よい刺激はどういいのか? 戦争から遠い愉しみであればいいのだが。 食事に性、お金に名誉以外の愉しみ、要は人を押しのけず、自足できる快――。 裏切られたからこそ学ぶなど、ご免だ。 薫風を嗅いでいく。
今や、「あの日に帰りたい」と思わない。 感傷がうとましいから? いや、「もう帰れない」と、単なる鈍さを育んできたのだ。 ここには取り返しがつかない痛みがあるだけ。 再会を果たす前に諍いは付き物なのだ。