2014-01-01から1年間の記事一覧
静かな心持ちでいられるだけで僥倖だ。 周囲に難病の者がいて重篤な状態が続く日々を思い出してしまう? そうかも知れない。 陽射しを浴び、アクビができれば満足。 新年を前に贅沢、そう、うたた寝もしようか。
親切にしなくていい、微笑さえあれば――。 実は、そうした望みこそが何よりの負担? そうだよね、それはそうだ。 ただ1つ、言いたいことがある。 生きているだけでありがたいと思った日を、忘れてはいないと。
貯めるものもなく、恐縮だが、言わせていただきたい。 お金は貯めるものではないと。 こうも言いたい。 自分自身が貯められたお金そのものになって、施すものではないのか。 大丈夫、遠慮なくいただきますから。
反省なんかする必要はない? おまけに、ゲラゲラ笑って生きていけばいいとは――。 兵器を造る企業の商品を購入しても、戦争犯罪者じゃない? そこまで図々しくはなれない。 立体的になんか逃げられるものか。
せめてガツガツしないでいこう。 せざるを得ないのが実情だもの。 足もとがしっかりとはしていない? 今も底なし沼のままだよ、フラフラするのが道理。 沈んでいくだけの状況下だ、潜らされる前に潜るしかない。
「まず手を押さえつければいい」と彼。 「すると、足も全身も思いのままにできる」 思わず聴く、「何のために?」と。 一瞬考え、明確に、「そりゃあ、相手と手を握り合うためにだよ」。 苦笑するしかなかった。
選挙結果を受けて、沖縄に移り住みたいという方が。 虫がいいと想う一方、むべなるかなとも。 暮らす環境は大切だ。 環境とは、つまり人々のこと。 手足をもぎ取られても、「守ることがある」と声を出してゆく。
時間が自由になり、行きたい場所へ行く。 「それで温泉だけなんて寂しいじゃない?」 ブラブラ歩けば愉しくなるという。 「食事の片付けをしなくていいだけでも、愉快よね」 湯に浸かるだけでは勿体ないと――。
芸は身を助く――。 では、巧みで美しく、芸とさえ感じさせない芸とは? 静かに長生きすることか。 ただ、老衰で死に夭折と謳われる人がいれば、若くして死に十分生きたと思わせる人も。 身という芸の幅の広さ。
感覚器官では耳が最後まで働いてくれるという。 明日出逢う唄があるにはある。 が、生を終えるとき何を聴きたい? 思いつかずに戸惑う。 何より、意識が消えていく過程で脳髄はどんな唄を鳴らし始めるのだろう。
生きて暮らしているが、生とは何なのか。 幾人も見送ってきて、思うことがある。 住まいは生だが、死こそ本籍なのではないのかと。 鳥は、朝早くから飛び立っていく。 いつものように、また見送るばかりだった。
公園のベンチに座していた。 陽射しを浴びつつ、両手を広げ、背筋を伸ばしていく。 何やら自然と唸りながら。 のびのびするという言葉の欠片を、感得していた。 久しく忘れていた言葉だったなと気づいてしまう。
相変わらず、すぐに忘れてしまう。 例えば、ぐっと来た物語のことさえ。 名言も、また。 「結局」と思う。 結局、記すことによって血肉化しない限り、忘却してしまう愚を抱えて今日もまた、ここにいるのだろう。
プライオリティーシートの前に立つ。 席には元気そうな若者。 ほら、眠った、狸が。 囁く、「体育会系かな、立派なナリしているなあ」。 隣の婆さんを促し、唱和するまでにはいたらなかった己が不明を恥じつつ。
「働かなくてもいい財力があればな」と彼。 「万が一そうなれたら?」 「まず休む、眠りたいだけ眠る」 「その後は?」 「決めているよ、やはり働くね。ただ、暮らしのために働くのではなく、暮らしを働くんだ」
早朝に歩く中年男。 「休む日もあるが、できるだけ毎朝」という。 成長しない、できやしないと知りつつも。 「何故?」 「当初は健康を考えて。ただ、今や歩かないと気持ちが悪いと思い込んでしまっているんだ」
アメリカは何故、日本人を皆殺しにしなかったの? 理由を考えつつ、電車に乗っていた。 良心からだけでないことは分かっていたけれど。 では、何故? グルリは暗くなっており、車窓には黄色い、蒼ざめた己の顔。
「不思議だ」 街の四つ角を曲がったとき、ふと体感してしまっていた。 だから、言葉にして脳内で呟いていたのだ。 「実に不思議だ、今も立って歩いているぞ」 おまけに鞄を持ち、陽射しさえ浴びていたのだった。
表面を取り繕ってもいいことはないよ。 帰っていくのは、やさしい気持ち以外、ありはしない。 行くところは、怒りの表明。 流れていく先はどこだなんて、聞くなよ。 底の底と覚悟しておくことしかできはしない。
お前がしがみついている。 自分で強くつよく望み。 お前が絞めつけてくる。 何を望んでいたのか、分からなくなって。 夜は長く、眠りは一瞬深くなるが、あっという間に朝焼けが訪れ、再び開かれていくのだろう。
超えようとしなくていい場合がある。 そも、超えられないのだもの。 一方で超えようとしたほうがいいことも。 例え超えられなくとも。 和解とも関係する問いだが、「あえて和解しなくていいこともあるよな」と。
しばし座って呼吸法を――。 気持ちが落ち着き始める。 日ごろ意識していない呼吸の方法化という不自然さ? 人は最後に息を吐くのではなく、引き取る。 それまで、浅かったり、深かったりする呼吸を重ねていく。
自然が人工物より多い暮らし。 豊かに感じられるのは、質感があるから? いいや、変化が基本となっているためだ。 新規のものを求めなくてもいいという脚力。 変わることを受容する日々を、静かに喰らっていく。
月が小道を照らし出している。 思い出さないわけがないよ。 よく歩いたよな、寒い夜に他愛ないことで大笑いして。 身体を折り曲げて、小さな窓から侵入、そんなことばかり? そうさ、思い出さないわけがないさ。
滅多打ちにされたことがあるかい? ないとはそりゃあよかった。 実は逃げられないことがもう山ほどさ。 だからさ、悪いことは言わない。 小競り合いから、とんずらできる逃げ足だけはせめて身に着けておくんだ。
身体は感覚や心の窓口。 見たり、触れたり、嗅いだり、食べたりして外の世界を内側の世界へと案内していく。 肯定的な感触が芽生えたら? 身体のスイッチが入り、行動を。 しかも、エネルギーが蓄積されていく。
1日1万歩では効果なしとか。 そこで、3分ゆっくり歩き、3分早歩きを。 以上を1日15分続けるといいらしい。 週4回、半年続けると効果が出るそうだ。 多くの方法があるが、いずれにせよ歩くことが基本か。
自殺するぐらいなら、学校へ行かなくていい。 そも、学校とは校(かせ)を学ぶ場所。 実は、生きてゆく場所。 死ぬほどの問題を抱え込むことはない。 学校へ行けないと、もう終わりなどというのは大嘘、虚構だ。
ものではなく、ことを。 そうして、関係の方法化も。 何のことはない、商品を多く売りさばく基本という。 要は、必要と思わせる手口――。 体験も商売にする時代だが、引きこもることをも商品化できるのかなあ。
授業はしないことだ。 子どもたちは、朝から晩まで、好き勝手に身体遊びをさせておけばいい。 いつしか、身心が落ち着くものだ。 そのときだ、黒板に向かうのは――。 眠り出す子もいるだろうが、寝かせておけ。