2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧
高齢の女性が座席を譲られる。 どうにか腰掛け、居眠りを。 隣の大また開きの男は舌打ちばかり。 ついに涎が垂らされ、ももへ落ちたと知らぬまま、下車していく男。 席を譲った女性と目が合えば、思わず笑顔に。
近所の中古本販売チェーン店が閉店。 すぐ後に、予想通りドラッグストアーが。 美と健康が売り? 早過ぎる開店スピード同様、空ろである。 チョビ髭野郎のいたドイツには、それでも7百年続く薬屋があるという。
お前が怒鳴られるのを視たくないよ。 殴られたり、倒れたりするのも。 ああ、いやだ、いやだよ。 可愛いわがままと、疎ましいそれとが耳元をかすめて行く。 知ったこっちゃあないが、居場所を確保していくんだ。
今日も空を眺めては、「ただいま」と――。 祝福するために生まれてきたのだ。 福を祝うなど、無理なこと? こうも言おうか、「歌うために生まれてきた」。 でたらめな唄でいいのだ、ただし、身心の声を込めた。
「まだ踏み止まっているぜ」と思っていた。 暗澹たることが発生したわけではない。 すでに覆われている。 それ故、自覚ができない? 名乗り上げたいわけではないと確認、相変わらずビルの階段を歩き始めていた。
料理している姿はどこか勇ましい。 命と格闘しているからか。 一方、食べているときは愉しそうであっても横顔に寂しさが宿る場合も。 命をいただいているからか。 底なしのおぞましさから離れられるといいなあ。
彼は久しぶりに食卓につく。 目の前に座る彼女には白髪が。 彼は話しかけもせず、笑う。 その後、彼女から問わず語りで聴かされた故郷・東北の話に、「ばかだな」と。 「笑わせるよな」と窓の外、星空を見やる。
リクエストしたわけではない。 にもかかわらず、今、とても聴きたかった唄が流れてきた。 「繰り返しては聴けないよな」 集中して、実際は溶けるように、全身を耳へ放る。 ラジオは、いや、ラジオが歌っている。
バスが止まる。 狭い歩道のため立ち止まったが、人は降りてこない。 すると、高齢の男性がゆっくりと。 地上に到着できた安堵感からか、ため息を。 そうして、右か左か、どちらへ向かうべきか、長く考えていた。
獣の出ない山へ入って行こう。 木々の下、1人プラス半人分のシートを広げようか。 手早く調理して、温かいものを、のほほんといただく。 その後は、午睡でとろける。 目覚めるときは、風が教えてくれるだろう。
わたしたちの先達、木々の傍らをゆっくりと歩く。 見上げる、見詰める、見惚れる。 深呼吸をしてから、再び歩き出す。 真っ直ぐ伸びているだけの木はない――。 だからどうしたというわけでもなく、歩き続ける。
彼女は去って行った。 彼は始終想い、考えていたが、理由は不明のまま。 何故か。 彼女にも実のところ、何も分かってはいなかったからだ。 ついに結論を出すため、2人は、苦笑の再会を果たしていくことに――。
今はない中華屋の前を通り過ぎたとき、思い出していた。 手際よく美味しいものを並べてくれたなと。 何より安いのが嬉しかった。 愛嬌はなかったが、陽気そのもの。 「そうか、人の命を肯定する仕事だものなあ」
桜が散っていく。 この世にはいない、しかも、あの世はないから、どこにもいない父母もまた、同じ桜の木を愛でていた。 生きている者たちと死んだ者たちを再会させる老木。 懐かしくて新鮮な青葉が視界に届いた。
老いとは、自分の身体のことだけで、精一杯になること? 心もまた、引きずられ、暗澹と。 そこいらで、立小便ぐらいするさ。 桎梏か、はたまた解放か。 毎日まいにち、朝を迎え、夜が通り過ぎ、気づけば黄昏だ。
幾多の物語。 読んで観て感じてきた。 ただ、残念で救済でもあるのだが、ろくに覚えてはいない。 ついと思い出すだけだ。 今を生きていると言えば聞こえはいいが、物語に収まらぬ領域に侵食されているのだった。
また、新しい週が始まった。 月を愛でては、火に遊ぼうか。 水にたゆたいつつも、木を浴びて、金の如く輝く? ついに、土へと還っていき、日にさらされる――。 いっそ、1日の中で循環させられるといいのだが。
病や犯罪の専門家たちがいる。 心や貧困を食いものにしたり、上昇に汲々としたり、黒板に向かうだけの人々も。 薄いカードで内と外が明確に分断されてきたのだ。 養生や親和、交感への淡さを求めて顔を洗い直す。
記すとは捧げる営為。 人や事物に対する、愛の、もしくは絶望の供物。 世界を存続させるために、告げていくのだ。 グルリが消失してしまえば、告白さえできない。 今日もまた、沈みながら黙るために記していく。
いつまでも寒さが消えない、どうしたわけだ。 単に、うすら寒いだけか。 夏の暑さでグッタリしても、続いているだろう寒さ。 よからぬことの兆候? 生自体の禍々しさに比べて、どうということはないのだろうが。
つっかけで、近所の止まり木へ。 2、3杯ひっかけ、気持ちよくなっては駄法螺を吹く。 気ままという春の愉しみ。 自由ではないが、役立たずな閃きも訪れて。 死後の世界に関する激論の虚しさが遠いだけマシだ。
海辺へ、ゆるりと出向く。 コップに海水を入れて愉しむのだった。 陽にかざしては、しばし眺める。 光線の具合、何かが浮遊する姿、何より海水の透明性。 コップの中のものを海へ戻しに行くのは、まだ先である。
喜びや楽しみなのではない。 怒りや哀しみこそが、常態なのである。 長きに渡り、嘆きや否定の対象だった死こそが、生よりも本態なのと同様に。 だからこそ、衰弱していく両脚で、歩き始められるときがあるのだ。
1人で舞台に立っている。 だからだ、緊張するのは。 みなが舞台に立っている最中、観客は自分と気づき、驚愕を。 全員が舞台に立ち、全員で視ている舞台は監視社会。 1つの舞台に幾億もの舞台を盗み見ていく。
祈る、「今、祈っている」と、ふいに感じながら。 実は、祈ることができる幸。 踏みにじっている場所での僥倖であるが故に、再び三度と祈り続ける? 青空、花々、そよ風――。 だから、どうした、暮らしてゆく。
望むことは多くない、今も。 例えば誠実と贈与、貢献。 そうしたことにまつわる文脈だ。 嘘をつくこともなくて、必要なものは提供、喜び合える関係――。 物語が桎梏となることを熟知した物語の声を求めている。
横殴りの雨が降り出していた。 足下には早くも水たまりが。 傘はさしていたが、靴どころか、靴下まで濡れ、疎ましい。 が、当然のことながら知っていた。 雨が、雨以外の音を消し、静寂をもたらす場所もあると。
物を投げてはいけない。 家族がぞんざいに扱われて平気ならいざ知らず。 丁寧に、静かに置くことだ。 新聞・雑誌はもとより、カップを投げるなんて…。 それでもというのなら、自分自身をまず投げ捨てたらいい。
1本の線を引く、心を込めて。 地平線にもなれば、山の稜線にもなる線。 巧拙は関係がない。 ほどなくすれば、1本の線は1本の線に戻っている。 かくして、また何かに変化していくだろう1本の線の、実は愉快。
富士山らしい姿がどの方角から視たものなのか、気にはしない。 どの場所から接しても即、分かるからだ。 日本一と冠するのも当然か。 山々を歩き、ついと出逢ったときの驚き。 富士山に登ろうとしない由縁――。