2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧
「いや、嫌いというわけではないよ」 彼の問いに答えた。 「要はさ、信じていないだけなんだ」 信じないが、感じることはできる宗教の話ではない。 雨の午後、身勝手な手合いの話題は、一刻も早く終えたかった。
学生時代の友人と再会をした。 想い出した、メガホンを手にして、「われわれは」と発語した姿を。 実はそのとき、彼はたった1人だった。 「逃げるべきときは逃げていいんだ」 そう教えてくれたのも、彼だった。
神経質そうな女性が、両手で吊り革を握り締めていた。 ぶつかりたくてぶつかっているのではない人々を睨みつけながら。 戦時下のような顔つき。 彼女にとってはそうなのだろう。 高齢者まで視線で防御していた。
運よく、つまり人様の運悪く、わたしは電車で座ることができた。 何気に視線を放った。 みな、小さな画面に釘付け。 他に視るものがない? 窓の外、珍しくお目見えの富士山を亡羊と眺めていたのは1人2人。
加齢とともに、近くなった。 いや、何、あれがね。 里山を歩いているとき、耐え切れなくなって、ついしてしまった。 思い出す、「昔は大人がよく、していたなあ」。 都市ではもう見かけない、するところもない?
戦争が終わる。 すると、どの国のどの場所にも三丁目が生まれるのだろう。 夕焼けが信じられて、貧しい、眩しい場所。 そうして、夕陽が照らす人々の顔も美しいのだ。 人々は忙しく、互いに放っておくこともあるのだろうが、今とは違う度量が発生を――。
喜びは、欲するものではない。 自然と湧き出してくるものだ。 求めるから妙な具合になる。 が、いらないわけでもない。 喜びの対象は気づいたときすでに遠のいているが、体感したものはいずれまた、やって来る?
菊に針金を使い、きれいに感じさせる。 何だか凄いことをするね。 もっとも、興味はない。 ふと出逢う野の花に惹かれるよ、いつだって、どこでだって。 刀には錆があったっていい、いや、むしろそのほうがいい。
光という秩序、闇という混沌だってさ。 どうかな、その比喩。 光が混沌のご時勢、闇が秩序のときも。 いっそ、光という闇、闇という光。 秩序なる混沌、混沌なる秩序もあるよ。 そも、光と闇だけではないもの。
来るときが来れば死ぬ。 来るときとは来るときだ。 いつか分からないから、逡巡? が、分かってしまいたいわけでもない。 心配することばかりだが、自分が死ぬときに自分のことを心配しているわけにはいかない。
街中で、唄が流れてきていた。 「ラブソングばかりではないか、それも不思議と、にやけただけの」 反戦歌の1つ、聴こえて来ない。 祈りや望郷の唄でもいいのに。 それらもまた、大切で必要なラブソングなのだ。
バスを当てにするしかない場所にいた。 よりによって急いでいるとき、しかも雨が降り出して。 軒先に隠れたが、足下は濡れ出すばかり。 別段驚くことではない。 「雨か」と呟き、心を逃がすぐらいは学んでいた。
「あの賑やかな中には、入って行かない」と彼。 「否応なく巻き込まれていてもさ」とも。 「入って行こうとしないだけでもいいんだ」 確かにもう、逃げられないのだろう。 が、彼が、まずの逃げ場所なのだった。
無意識に抑圧された願望の現れだの、口・肛門・性器にまつわる話について読んだ。 とはいえ、夢はほぼ視ない。 夢なら目を開いたままのほうがいい。 いや、還暦越えだ。 夢もチボ―もないところで、立っていく。
弱さの認識から始まる強さの如き領域。 本能的良心、抑圧的衝動、精神的身体、そうしたことを想う。 空の否定・大地の肯定、あるいは逆のことも脳髄が囁く。 いずれにせよだ。 弱さを受け入れなくて、どうする。
どうにかこうにか、ひと休みしては曇天を眺める。 そも、わたしはお気楽な野郎なのだ。 だからか、大企業に引け目はないほうだろう。 冗談や悪口は言うが、崇め奉ることがない。 「だから、だめ」との声ありき。
自分で制御できる事態なら、最善を尽くしたい。 が、制御できないことなら、どうしようもないのだ。 もちろん、屈託は放棄せず、手放さない。 諦めることはないが、とりあえず諦めて、腹に汚泥は溜めないに限る。
車窓から美しい風景がうかがえた。 が、視線の向かう先は安普請のアパート。 「あそこなら、わが家にできるなあ」 地元のスーパーで買い物をして、公園でひと息、入れるのだろう。 今同様、寛ぎを切望しながら。
大切なのは、好きな人たちとの交遊だ。 しかも、少しでも自由があれば言うことなし。 そうして、お金だって必要だ。 友人たちと逢えず、労働まみれの日々に、どんどん奪わていく。 だからさ、口笛ぐらい吹く。
「分類も分析も、ましてや分別もねえ」 そう、話し掛けた。 「では、何がいい?」 少しためらいながら、「屈託のない笑顔が、やっぱさ、いいよ」と。 そうして、「ただし、暴れるほどの」と付け加えたのである。
汗をかき歩いていた。 畑の、雨に濡れた野菜が、角度によっては輝く情景と出喰わす。 ところで、一生で多く飛来する感情とは? 少なくとも喜怒哀楽の喜や楽ではない。 が、そのとき、楽しく喜んでいたのである。
礼儀はわきまえている。 順応はいち早く、ときに大胆。 士気を高めるのも巧みだ。 が、実際は気弱で、階級について考えている。 何よりプライドなどは持たず、持とうとせず、武力を疎ましく感じているのだった。
幼馴染みとは、幼少期の友だちのこと。 が、長じて出逢った奴らと久しぶりに逢えば、幼馴染みの気配も。 化が取れた超高齢社会。 幼いころが延びてしまった? いずれにせよ、人が故郷であることにかわりはない。
堅気ではない。 とはいえ水商売でもないのだ。 「では、何だ」と問われても、どう応えよう。 陰で銭を数え、都合のよいことだけ喧伝、後はだんまり。 彼・彼女らは職業の自覚もなく、一応政治家と呼ばれている。
「上なんかは視ないよ、やりたい放題だもの」 「そうだな」 「でもさ、追い込まれていくだけだよ」 「まったく、実にそうだな」 「下の下にいる者がズルして厳しくされてさ」との言に、もはや頷くばかりだった。
古人から譲られたのではない。 明日の子どもから任されているのだ。 あの自然、この空気、その水――。 手渡していくものは、生きていくための物質。 そうして、残すことは穏やか、かつ微かな声に託した想いだ。
ストレスから逃げていれば、追いかけられてしまうもの。 ためているだけでは、ついにギブアップも。 先送りばかりだと、問題は大問題へ。 硬い夜。 足もとは視えないが、鮮明な夜道が、「歩けよ」と促してくる。
人前で人をけなすときは要注意。 言葉、何より真意が届かないケースがあるからだ。 とはいえ、褒めるときはもっと留意すべきことが。 褒めることができる器量の、自慢話になりかねないからだ。 人だらけの中で。
何やら胸騒ぎがするときが。 倒れそうな気分になるときも。 そうして、緊張が瞬時に走るのだ。 大地への安心が壊れ、身心への殺戮を繰り返されても慣れることはない。 生き物がまだ、体内で蠢いているのだった。
人相手に簡単なことはいくらでもある。 だから、詐欺は食えるのだった。 でもさ、生き延びるために、自らに訊ねたとき、どうなのか。 ごまかせし切れる? 自分という人を、そそのかすことができるのか、どうか。