2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
ホームレス? 位相は違うが、ブッダもその1人。 刺すのではなく、ぶった切られようとして、家を捨て市井にも赴いたんだ。 万物を慈しんだそうな。 家をなくすことで、宇宙をホームにしたかもしれない人だよ。
何処からか、デヴィッド・ボウイの唄声が。 一瞬、方向感覚を失う、首を振る。 横断歩道を渡っているとき、気づく。 軽トラックのラジオから流れていたのだと。 運転手は缶コーヒーを一口飲む、アクセルを踏む。
知らない街で、家路を急ぐ人々に、独り、混じってしまったら、 おまけに雨が降り出してきたとしたら…。 切なく、哀しいよね。 ただ、その想いは大切な領域がある証なのだし、 その街が馴染みになる契機なんだ。
出会うはずだ。 頭の良い悪いや感覚の鋭さ、何より損得で判断する輩と。 でも、消え去る基準だよ。 そうでなければ、人の世は続かない。 目の前の不在者に対し、微笑むことができる場所で暮らすようにしようか。
街角で母子は、ふと立ち止まり、店頭の箱の蓋を開けた。 女の子は目を瞠り、座り込む。 箱からは、お馴染みのメロディーが流れてくる。 2人は視線を交わす。再び箱を見つめる。 喧騒から遠くとおく離れて──。
夏好きのお前には寂しい季節がやって来たね。 暑い日差しが遠くなってゆく時期だもの。 ただ、この新鮮な切なさは秋ならではだよ。 それに、春を迎えるために冬を丁寧に暮らすから来てくれるんだ、 解放の夏は。
前方を凝視する父、見上げる娘。 手を上方へ差し出したのは娘のほう。 病院を出て歩き始めたが、手はつながれていない。 男は天を仰ぎ、振り返って気づく。 立ち尽くす女の子の前へ駆け寄り、手を取る、静かに。
歴史を事実の集積ではなく、 人々の想いの塊に軸足を置き眺望してみようか。 数え切れない希望と同根の束に触れられるはずさ。 「生きたい」という始原の声が聴こえるだろう? かき消すわけにはいかない声が──。
からだの事情で、今日が愉快になったり、憂うつになったり。 齢を重ねれば一層、顕著になるさ。 一生、個体との近所付き合いは続くんだ。 声をかけたり、かけられたりしながら、お前のからだを生きていくんだよ。
言葉で驚かそうとしなくてもいい。 無理はしなくてもいいんだ。 身心が、言葉で包み込まれれば嬉しいけれど、 実は窒息をまねいてしまうことも。 暮らしの基本は、沈黙の地層を聴き分けられることにあるんだよ。
里山の奥深く、天変地異で倒れた木々。 根は剥き出しとなり、天を仰いで、乾き切っていた。 そうだ、帰り道には、車窓を全開にして歌おうか。 土へ帰っていく木々との別れの唄は、千切れながらでもきっと届くよ。
思い立ち、川へ。 石を遠くへ、できるだけ遠くへ投げていた。 水に落ちる音を聴こうとしながら。 1つとして同じ響きはなく、瞬時に消えていく音。 背景では川の流れが静かに、身心に染み入る音色を描いていた。
いつも秋は唐突にやって来る。 まるでお前のよう、お前の笑顔のよう。 絶対は絶対、いや断固あり得ない。 ただ、絶体絶命の如き、そこかしこ。 まずは一献。 盃に映る苦虫を呑み干し、 俺も笑顔に感応するよ。
のびていかぬ皮肉や自己確認のための雑言、根拠のない批判。 そうしたことは、魂をスライスさせることなんだ。 「どうにかなるさ」とはいかないことも多いだろうが、 いいさ、お前の脈は今、打っているのだもの。
稀にやって来て嫌味を言う親戚のような輩に、伝法な物言いぐらいするさ。 ただ、威張ったり断定したりするのはご法度だよ。 お前にはまだ難しいだろうが、寂しさの根源・根源の寂しさを、決して忘れてはいけない。
楽譜になっていない、なり得ない、暮らしから生まれた静かな悦びの唄を、聴き逃さぬようにしようか。 ゆっくり、どの道、呑気にさ。 聴力を鍛えるのは困難だが、そうだな、耳だけをそばだてることはないんだよ。
目の前に突然、婆さん。家からどうにか出てきたようだ。 杖を塀に立て掛け、録音機を回す。 「寝たきりの爺さんに聴かせる」とポツリ。自分の不便な耳にも、祭囃子はよく響くそうな。 手は伸び、握手をしていた。
何処へ出掛けても、出向くところは同じになった。 木々の下、大きく伸びができる空間だ。 水の流れが聞こえるのなら、申し分ない。 そうして、季節を問わず湯をわかし、熱いお茶を飲む。 時に、「もう一杯」と。
愛や夢、希望の困難さだけを言い募る文脈は、 戦争体験者の自慢気な態度と瓜二つ。 今も、「ヒトラーなんか知らないよ」なる言葉を放り、素通りするさ。 「生きていられるだけでありがてえ」と肚で体感しながら。
相変わらず経済が規定・矮小化してくる状況下、 わたしといえば、ついに実験室となった家族という場所、 外に開かれようとして、骨肉の争いと手を切る場所にいる。 皆の身体が、今宵も集えるといい、と願いつつ。
子どもの成長を特に問うてはいない。 単に大きくなる姿と接しているだけで十二分。 血のつながりは、もういいだろう。 そも、家族の基本、夫婦が赤の他人なのだもの。 どのように忙しくとも、見つめ続けてゆく。
すぐに散らかり、とりとめがなく、 埃だけは溜まって、小さな破裂がつきもの、 他人には独特なにおいと感じさせ、 決して片づけ終わらないことが本義。 そうした場所こそ、狭くて温かく、楽しくて愛しいわが家。
慎ましい小さな野の花、慎ましい野の花の小ささ、 小さな慎ましい野の花、小さな野の花の慎ましさ、 野の花の慎ましい小ささ、野の花の小さな慎ましさ。 さらに色彩が加わり――。 見飽きず、見終わらぬ野の花。
歴史の濃霧の中を歩けば、 決まって慟哭が聴こえてくる。 その果てしない悲しみは、 実はわたしたちへの、かけがえのない贈り物。 地上で、生き延びる知恵にできたのなら──。
強い日差しが言う。「そこにいろよ」 「流れる雲を眺めていればいいさ」と。 馴染みの木も語り出す。「ああ、心配はいらんな。私のそばにいればいい」 すると案の定、風が吹き始め、囁く。「言った通りだろう?」
ゾウの鼻にも長短の違いあり。 悪意の中の善意にも。 キリンの首にも長短の違いあり。 善意の中の悪意にも。 朝、俺はといえば、いつものように出発を耕し出すだけだ。
「お父さ〜ん」の声。 振り返る。 見知らぬ子が手を振っていた。 わたしの前方にマスクの男性。 幾度も振り返っている。 表情は見えぬが、見送りの母子に笑顔は届く。 人混みの中、家族のラインが確かに走る。
暑い時分に、からだをできるだけ動かしておく。 秋冬に動きやすく、楽だもの。 それにしても暑い、どうする。 まずは大きな伸びをして、首が回るかどうかの確認も。 自然と、いつものように歩き出している。
日差しが強くなる前、 何処からか目覚まし時計の音が。 車がまだ通っていない路上の真ん中では、 古い自転車が1台、雲の上をふわりと行くが如く、ゆるりと走っていた。 思いはもう、あの爺さんとの2人乗り。
たった今、生産中の戦争を、 肯定する人々と同じ今を生きている。 この不快、この恐怖。 今宵、覚えたての唄を口ずさみ、 わずかでいい、散歩をしようと思う。 月の光を頬にあてた家族と、木々の下を歩くんだ。