2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧
当たっているかもなあ、佐川さんってさ、宣寿という名前とか。 寿ぐことを、のたまうんだってさ。 一方、前川さんは喜平。 平らに喜ぶなんて、とてもいいよな。 今は静かに笑みを浮かべられることが少ないもの。
雀は百まで踊りを忘れないし、禿げても浮気はやまぬそうだ。 が、たった今から身心に刻印されていくことも。 「子どもは大人の父」という不思議な詩句を想い出す。 いくつになっても変わっていく領域はあるのさ。
油が買えなければ夜は長いよね。 貧乏人ばかり、少しは助け合ってさ。 が、今や金持ちの子だくさんが実情? しかも、少ない子が駆り出されそうな勢いさ。 久隅守景『納涼図屏風』に感じ入っているところなんだ。
仕切りたがり屋は嫌われる。 そのくせ、いなければグルリが困惑する場合も。 ときと場合によっては嫉妬や憎しみ、軽蔑や侮蔑、ついには差別や区別の対象に。 ああ、嫌だいやだ。 まずの話が仕切られない関係を。
改札を出て歩き出した休日明け。 「何だか、変だな」 「そうか」と分かったのは視線についてである。 伏し目がちになっていたのだ。 ゆっくりと確認しつつ姿勢を正せば、眼球もまた愉しく泳ぐように動き始めた。
界隈には桜、高齢者たちの元気な姿に胸を撫で下ろし、胸を詰まらせもした。 車椅子の中には見上げられない方も。 眼球だけは上へと向かわせていた。 涎を拭いもせず視線の先には桜。 「春だぜ春、いよいよだぜ」
「んな、バカな」 ニュースを視ては、「うんざりだな」と。 あれにこれ、それが事実なら、とっ捕まって当然、妥当だろう。 心が休まる時間を少しでも、しかも身体も脳も休めなければ。 別々ではなく、ともにだ。
出来ない子は、しなくなる――。 実際、そうなのだ、事実なのである。 が、それでもなお、するようにならないのだろうか。 出来ないことにとらわれず、夢中になっていく。 そうした現実はないものなのだろうか。
国は健康寿命の延伸を唱えている。 そりゃあそうだ、税金が安くて済むもの。 が、詭弁がまかり通り、すこぶる健康によくない。 何より、紛争や戦争ほど健康によくないものはないのだった。 そう体感し直す日々。顔のないヒトラーたち DVD出版社/メーカー: TC…
労働によって体型が作られる。 長年、同じ作業をしているのだから、当然か。 できれば、意味不明な体型がいい。 染まらず暮らしていけるといいのだ。 表六玉として生き延びられる世の中こそ、いいのだった――。
今朝は呼吸を整えた。 その後は呆れた、呆れるほどの労働現場の壊れ方に対して。 抜け道は細い、細いものなのだと見据えている。 巧くいくとは限らないのだろう。 それが分かっただけでよしと、回避する領域が。
感情とは持つものではなく、視るものと喝破した方がいる。 言いたいことは分かるが、難しいものだ。 負の感情は持たないに限るのだろう。 が、正の感情はどうなのだろうか。 持って視て視て持っていく生の日々。
人が集まっているよ。 いつもと様子が違うし、どうしたのかな、何かあったのか? あっ、そうかそうか、春になったんだよな、長いながい冬を終え。 が、また寒くなる日もあるとか。 せめて背筋を伸ばして歩くか。
労働体型。 長年、同じ仕事をしているのだから当然か。 植木職人と事務員では違うものだ。 一方で、似たにおいもあり、例えば刑事と記者のそれ。 できれば、生涯素人として染まらず暮らしていけるといいのだが。
老いに抗うつもりはない。 ただただ、場所としての身心を動かそうかと。 この身心から引越しはできないのだ。 抗うよりも、居心地のよさを味わう方向性で愉しむことを。 結果的に、体内から春が目覚めればよし。
例えば成功。 周囲の協力や善意がなければあり得ない。 そんなことはない、本人の実力や才能? 無論、大切だが、ポイントは、そこにはない。 だってさ、成功しても、共に喜ぶ相手がいなければつまらないものな。
お金がなくとも何とかならないものか。 何もできないときがあるのだから。 何もしない自由などというのは上等さ。 できないときはできない。 無闇と責めないし、謝罪も不要だ、ただただ生きていけるといいのだ。
目と目が合う、バツが悪そうな彼女。 それはそうだ、試合に負けたのだものな。 視線が情けない気分にさせた。 が、本心は、「生きているだけで上等だぜ」というところだった。 何度も生死をさまよったのだもの。
例えば、全否定したものに擦り寄る。 そうした輩がいるのだ。 それこそ、全否定したくなるではないか。 もっとも、わたしの場合、そうした手合いが分からないだけなのだったが。 分かりたくないことも手伝って。
腹立たしい、陰口ばかりの輩たち。 そのくせ、さぼることだけは一丁前。 そこら中にいる、為政者みたいな手合いが。 腹の上に乗り平然と、「生活が苦しかったら、もっと働け」と。 こちとら、動けやしないのに。
生に内在する死、死に内在する生を想う。 死の中の死、生の中の生を感じながらも。 死に向かって生きていくし、生に向かって死んでいく。 眠りは死の予行演習と言う。 では、生の予行演習は目覚めのときなのか。
林の奥まったところ、1本の木を訪ねた。 当たり前のように、「久しぶり」と言葉が湧いて来ていた。 木肌を撫でる。 わたしには分からない速度で、木は踊っているのだった。 曲がり、伸び、ときに折れながらも。
満員電車が苦手? それはそうだ。 これから働くというのにあれはないよな。 そも、働く人を祝福しているとは想えない、仕打ちのような空間だもの。 が、すっかり馴れてしまったよな、疲れたのに気づかないほど。
道端で太極拳をしたことがある。 それこそジロジロと視られて恥ずかしかったが、続けた。 覚えたてで、モノにしたかったのだ。 今は? 公園の片隅、人がいないあたりを視つけては、こっそり、堂々と行っている。
酔った彼が言う、「何だかさ、老いという進化を生きている感じだよ」。 物言いが面白かった。 続けて、こう言ったのである。 「老化できる能力はまだ、あるんだよな」 そうそう、酒量は相変わらずではあったが。
労働では想うようにいかないときがある。 労働だからだ。 事実、あなた任せの領域はコントロールできない。 そも、時間自体、盗られてしまっている。 古くて新しい問題が深刻になってきており、目は逸らせない。
朝、女性がさっさと歩いて行く。 すれ違う少女が気づく、そうして拾い、踵を返す。 すでに女性は遠い。 早足だったが追いつかず、走り出す。 手袋を無事届け終えた少女に、女性は取り乱しつつ深々と頭を下げた。
ウェブの隆盛で情報は無料という感覚が発生を。 企画やアイデアもまた、そう想われている節があるのだ。 何より助言でさえ。 悪いと言いたいのではない。 事実、言葉自体、ただで贈られてきたのだ、はてさてと。
一生続けられることだけをしていきたい。 が、歩くことも一生は無理なのだろう。 せめて認め合っていくことはできまいか。 いや、無理なのは脳でさえ使えなくなるからだ。 よし、そのことを認め、歩いていこう。
労働に満足しているとしたら? あえて旅に出るまでもないのだろうか。 そも、今や良くも悪しくも暮らしはグローバル化、旅のようである。 が、旅そのものではない。 流れていく先が消失したにしろ旅はまだある。