2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧
嘘で乗り切ったつもり? が、最期のとき、自分に率直な言い訳ができるだろうか。 「何とかやった」と。 間違っていないと信じていてもどうかな。 死亡ニュースを視た人々から笑みがこぼれても平気なのだろうか?
嘘に甘いどころか、見逃す風土? いや、正直が褒められないほうが問題か。 場合によっては、ないがしろにされ、否定されるのである。 現実では、見抜けない嘘ばかりがまん延を。 自閉のどこを責められよう――。
物の価値。 購入された途端、古くなる、いや、なくなる場合もある。 貧乏人の負け惜しみと言われれば図星だ、間違いない。 何せ価値という考え方・感じ方に違和感が。 いっそ、価値に価値はないとさえ言いたい。
マニアックな人と話をしていて、「えっ?」と。 背景に膨大な体系を内包していたからだ。 それ故の集中、偏愛、熱狂。 静かな強さと、勢いのあるやさしさを同時に発揮できるのではないかと、新鮮な驚きを覚えた。
愉しみは、遠くを訪ねることばかりにあるのではない。 身の回りを愉しむ――。 それだけで十分ではないのか。 例えば自分の身体の声を聴く。 それだけで、帰っていけるときもある。 仮に病身であったとしても。
「ったく、降り出しやがってさ」 雨はいずれ止む? が、問題は今さ、今の土砂降りなんだよ。 横断歩道の向こう側、母親が乳飲み子を何とか抱えている。 笑みを子に向けていると分かったが、必死さとは遠かった。
「富士山が視えないと、寂しくてさ」と彼。 毎日、仰いでいる土地で暮らしていたのなら、確かにと。 「息苦しいのかも」 悩みは千差万別、百人百様。 わたしは小さく伝えた、「なあに夕陽けがあるじゃあないか」
今も体験・経験は役に立たない。 そうした視点も大切だ。 圧倒的な賃労働、過密な予定、不確かな関係、何より視えない顧客。 経済も戦争を作るのなら、ほぐしていくしかない。 役に立たないことを生かしながら。
今にしてみれば、「どうということもなかったのか」と想うことが。 一秒一刻を争っていたのにだ。 今、慌てていることに生かせればいい心持ちだが、そうは問屋が卸さない。 相変わらず、重大さと気楽さの狭間だ。
ゴルフはしない。 自転車で広い公園へ向かい、青空の下での太極拳、プールでの水中歩行で身心をほぐせれば満足だ。 おまけに、たまに焼き鳥屋で呑めるのなら十二分。 安上がりそのもの、実に問題はないのだった。
今の高齢者は大変と言えば大変だ。 超高齢社会を迎え、手本がないのだから。 かつて体験したこともない事態の到来。 佳きことと断言できず、むしろ路頭に迷うことばかりか。 が、笑い飛ばしていくしかないのだ。
やぶれかぶれ、どうしたってさ。 美しいことを考えたとしても。 そうした折、「死は点でなく幅」との言葉に出逢う。 この世の死の幅が広がらないことをと祈る。 「おれのことなんか、構うものか」とは想わずに。
等しく貧しかった時代を想う。 まずは餓えなければよかったのだ。 が、今は物が豊かになり、実は餓死と表裏一体である。 たかが商品、されど商品、その向こう側へと。 気分はやけくそ、公園へ汗をかきに出向く。
昔から野望はない。 しかも、幸福は求めてこなかった。 ただただ、幸運であればいいさと。 それにしても、幸福が何であるかは今も分からないでいる。 こんがらがっているが、今は夕凪のとき、静かだ、不気味だ。
まだ歩ける。 酔ったとき、立ち上がるのが難儀になってはきたが。 自転車にだって乗れる。 つまり、遠くまで移動できるということなのだ。 留まるため、動き回ってきたのだと体感する機会が増えるばかりである。
どうしたわけか、退屈はしない。 いつ死んもおかしくない齢を迎えているからか。 いや、そればかりではないのだ。 暮らしを脅かす事態に、条件反射で生き延びようとしているから? 退屈どころではないのだった。
今や、敵は思考停止。 それはそうだ? 生を奪って、微塵も反省しない為政者への同調もまた、撃つべきだ。 事実、さらなる同調を再生産しているのだから。 無責任という言葉さえ逸脱したニッポン・チャチャチャ。
塗炭の苦しみ。 泥にまみれ火に焼かれて苦しむ様。 感じる暇もないほど辛い外側からの苦だ。 一方、立ち行かなくなる内側からの肉の叫びも。 飢えが重なれば途端の苦しみどころでないのは、体感しているからだ。写真集ひきがね 抵抗する写真×抵抗する声作者:…
意識と身体、心が乖離していくばかりの時勢だ。 生きているだけで丸儲け? 何をおっしゃる兎さん、だ。 言いたいことは分かるが、生の現場では商売をしているわけでない。 その感じ方、アウトの上にアウトだよ。
昨夜、何を食べたか忘れた? 朝食でさえ忘れているよ。 が、記憶では手放していけない領域が。 絶えず想像することが大切だ。 五感を活かし身体で考えていくのだ。 とはいえ、盲点を見失うことなかれなのだが。
いつの時代でも世知辛いものだった? 確かに、理想の上司などいるわけもなし。 たださ、貧しい時代にも美味しいと感じるものはあった。 涼風に身心を洗われたりもしたのだ。 とびきり上等の青空だって眺めたさ。
子どもは嫌なはずだ。 いや、いくつになっても。 親が罵倒されるのは視たくない。 事実、ぶん殴られているようなことばかりである。 グローバルな現在、埼玉や東京など、身近な親が殺されているのと同じなのだ。
嘘はつくが、「人を騙すのは嫌だな」と感じる日々。 そうした物質になってしまったのだ。 「世の中なんて、所詮こんなものさ」というゲップとしてのニヒリズム。 あるいは、軍人を生む根源。 そうした場所とは、無縁で暮らしていきたいだけなのだったが。
オリジナルが大切? それはそうだが、まずは盗むことからさ。 そんでもってさ、ポイントは自分の場所、自分という場所で変化させること。 換骨奪胎までいけば、しめたもの。 そも、言葉自体、先人からの贈り物。
売れる・売れないは確かに大切なことだ。 ただ、切実に必要とされることこそ目指すべき場所だと。 腹は満タンなのに、つい手を伸ばすときもある? 確かにそうなのだが。 握り飯のような言葉を今日も探している。
無限への恐怖。 だってさ、ついに最後までは理解ができないもの。 そのくせ、憧れてもいる? そうかもなあ、佳きことが無限に続いて欲しいと。 無限に鎮座する有限、有限に垣間見える無限の狭間で月を愛でたい。
分かりやすくとは、受け取る人をバカにしていまいか。 話したいように話せばいい。 そも、分かりやすくとは何なのだろう。 稿料で暮らしているわけではない、短く記せばいいだけさ。 嘘ばかりの劇化は避けつつ。
自分の財布から、月にどの程度支払っているのか? 年貢で食べている連中は。 疑問の共有はできない? が、想像力まで壊されませんように。 多極化へ向かう背中も単純化にどやされて、視界から消えてゆくばかり。
感受性を組み替えることは可能? いくら説明しても届かない領域はある。 そも、感じる人に説明は不要だ。 が、つるむ集団ではない、互いが手を差し伸べあうつながりは必要である。 届かずとも説明するしかない。
登録制ではない組織は魅力だ。 が、組織というだけで、どうかなと。 当然の危険という皮肉な現況である。 勇気だけで、しんがり戦を闘えるわけもなし。 が、ないよりマシ、身体でつながっていこうともしている。