2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧
1年が終わる。 寒い冬は続くだろう。 首から冷気が入り込めば陽射しをと願うばかり。 まずは襟元を調えよう、暖かく温かい新年という明日を迎えたい。 何も変わってはいないが、一新したかのような明日よ、来い。
久しぶりに聴いた感じがした。 つい最近も聴いていたのだが。 一方、久しぶりに聴いたのに、昨日も聴いたような感覚になる唄もある。 いずれにせよ唄を、今日の唄をと。 それは必ずしも新譜というわけではない。
善は滅び続け、悪は栄えるのだろう。 現にそうだもの。 が、それでは世界はなくなってしまう。 そこで、束の間だが、善が顔を出し、わずかの期間、悦びの表情が現れるだろう。 身心に気をつけやっていきますか。
不正な利益に結びつく嘘はいけすかない。 お金は強烈に欲しいのだが。 嘘をヴィジョンの側から問い詰めて何が悪かろう。 事実の集め方に願望が反映しないことを祈る。 居場所は見つけるよりも作ったほうがいい。
人の多い街中へ出向けば、どんどんじゃんじゃんぶつかってくる。 よけてもよけても。 しゃらくさい、こちとらもと。 が、寂しくなるだけ。 身動きができないとは拷問、つまり気に入った街も刑場の如しの殺伐か。
贈る側の事情もある。 あえて拒否することはないだろう。 が、いただけないものはいただけない? プライドだろうが、誤解されないためにも手にしたほうがいい。 そうして、時間をかけて返却していけばいいのだ。
「燃焼すれば自然と回復、いずれ大きくなって戻ってくる」 本当かな? 「失敗をくよくよと覚えていると大成しない」 そうだろうか。 燃焼して燃えカスとなり、くよくよと考え続け救う言葉を残した場合もあるよ。夜の谷を行く作者: 桐野夏生出版社/メーカー: …
朝の寒さと夜のそれは、「違うものだなあ」と、あらためて体感している。 朝は概ね飛び出すため外光派。 夜は帰宅を急ぎ内光派へと。 ともにまだ耐えられる齢である。 が、耐えるしかない日々でもあるのだった。
「2人で暮らし始めたころは寒い冬だったのよ」 「ただね、お金もない中、ストーブを購入、とても暖かくなった」と。 暮らし全体が温かくなったそうだ。 仏壇に向かい、「そうだったわよね」と語り掛けてもいた。
本来、教則などないのではないか。 そも、本来という考え方自体も。 あれこれの必要な雑学の身体化こそ、自らが跳躍するための足腰である。 もっと違っていいのだ。 叩かれそうなら隠し持っておけばいいだろう。
興味があれば勉強でさえ愉しいものだ。 なければ? 苦痛だし拷問だろう。 そうした当然のことから始め直さなければならない時期はとうに過ぎた。 つまりだ、今もなお勉強法の勉強をしなければならないのである。
積雪予報がある。 それなら、積葉予報があってもいいな。 「明日あたり奥多摩方面では積葉が40センチあたりになりそうですが、ダイブにはもってこいですね」 そう言われたら? 寒く暗いうちから出発するはずだ。
偲ぶのはアイツらではない。 そう想うときがある。 が、点数が稼げるなら何でもする連中だ。 商売になるからと平気で自らを売り渡してきたではないか。 消された自らの魂はギリギリのところで苦笑するだろうか。
垂直的な排他性には疲れるものだ。 「やさしさで勝てば?」と言いたくなる。 とはいえ、負けない、これだろう。 親切であってもいいが、とにかく負けなければいい。 今のままで勝ってもろくなことにはならない。
今の状況について想っていた。 例えば競争という言葉。 効率とも想起を。 何もかもが自己責任のようであり、ついに監視ばかり、周囲は不寛容そのものなのか。 信頼を生み出すような交通こそに想いを馳せながら。
空から何かが降ってくるよ。 あれは一体何だろうね。 そうしたことを感じ、想うときさえ持てずに、気づけば落下していた。 暮らしの中では、お目にかかれないものだ。 ――この情景を狙撃、あるいは空爆と呼ぶ。
「あんたなんか、いいわよ」と彼女。 「弟なんか半身不随よ」 目の前を行く中年女性2人が、大きな声で会話を。 始まるだろうと予測した通り、次々と不幸な話題を。 そうして、「笑い過ぎかな」と笑うのだった。
興味を持つこと。 勉強にも身が入るだろう。 もっとも、好奇心の暴力という問題もあるのだったが。 人殺しの実行に興味を持たれても困る。 少しでもいい呼吸を交わし合う関係が、立ち上がってくるといいだけだ。
憲法より上位の大国。 病み、苦しんで、人殺しも続けてきた。 この領土に兵器や武器を売りつけ、得意満面。 いや、至極当然の面持ちか。 稼がせて取り上げるのはいつもの手口、それでも従順なのは文字通りの病?
財界や官僚、政治家の善意? 悪質な冗談だろう。 対米従属で、やくざ者を使うとは、何処を愛せるのやら。 闇夜が深まったのではなく、すでにして目が潰されたのだ。 手探りで這い蹲りながら周囲を窺うしかない。
健やかに暮らす基本とは一体何か? まず、適切な食事・運動・睡眠が浮かぶ。 自己管理ができる姿勢も。 時間の融通が利き、家計の余裕も大事だろう。 何より人と人とが親しく笑い合うことができるといいのだが。
闘いは無慈悲なものだ。 そうした中、力だけに頼るのはすでにして敗北。 いや、拒否したい。 結果的に最後まで力は残っていくのだから。 闘いの過程で力そのものを無化していくことこそ、闘いの名に値するのだ。
ノスタルジーもまた明日への源泉である。 淫さないのであれば。 闇を見据えた作家が妻に堕胎を3回もさせたとか。 学ぶことはできるが、どうでもいい人だ。 落ち葉を踏み締めて歩くほうをよしとしたいと言おう。
国敗れて山河あり? が、もはや大地はないのではないか。 汚されたのだ、薄汚れた連中に。 体内にも流れているドブ川、体内から流れ出すドブ川も視えている。 敗れて山河も消えて、残るは想像力と言う砦だけか。
歴史を振り返ることもない? 今、起きていることに、何千年分の事態が畳み込まれている。 今日に百年が垣間見えることも。 しかも、今後の百年に今日が浸出していく。 高齢者の後悔に学ぶべきことは、多過ぎる。
時代遅れのマーケティング理論のような手法。 治めるはずの政が、それで済むのか。 そも、消費は世界に根付いていく。 生自体が欲望している部分も。 キーワードだけで解決するのなら、それほど楽なこともない。
みなは経過を知っているが、登場人物だけは知らない物語がある。 自分に関しても同じ。 わたしという関係の物語自体、とらえられない。 無論、分かっている部分も。 大いなる錯覚と踏んでおいたほうが無難だが。
人生はゲームという物言いがある。 あるいは、死ぬまでの暇つぶし。 確かにそうした側面もあるのだろう。 が、禍が絶えない中、どうにも馴染めない言葉だった。 生きているだけで精一杯だ、退屈したことはない。
引きずり降ろしたくないし、のぼりたいとも想わない。 横へ広がっていきたいだけである。 元気・希望が暗澹の由縁になってしまった? その元気、あの希望が奪っている。 狭い経験知で判断することは避けていく。
彼は、人を利用するだけだ。 つまり、落とし込めるだけ。 自分が人に所属している心持ちがないのか。 得でさえないのは、ついに自分も利用の対象にしているからなのだったが。 彼は、わたしの中にも潜んでいる?