2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧
齢を重ねても未熟と痛感する日々だ。 途方に暮れること自体に苦笑してしまう。 柄にもなく、何故生まれて来たのかと。 目の前に食事があれば食べるが如く暮らしてきた。 食べられなくなれば、「了」と想いつつ。
夜の広場に立つ。 雲はなく、星々は輝き、月がグルリを淡く広範囲に照らし出す。 安らぎに似た感情が内臓からやって来る。 孤立していても、距離が見定められていれば問題なし。 宇宙が視えているじゃあないか。
夜の肌寒さはまだ続く? 逝ってしまう日々なる極寒。 束の間の夏の、内臓さえ暑い一瞬をふと乞う。 朝には温かいスープ、夜にはアルコールで、身体を内側からさすっていく。 まだ、いや、いつも希求する熱の束。
1冊の本とつき合うが如く1日を過ごしてみる。 目次を作る要領で、流れを読む。 本文としての暮らしは丁寧に。 奥付を記すように、今日を確かなものとする。 最後には、タイトルを書き直し、今日を閉じるのだ。
静かな語り口で、歩み出す言葉を記してきた。 長時間、高齢者や病人、障がい者の話を聴き、道標を共に描いていく。 彼女は言う。 「効率を追いかけないほうが結果的に効率的」 そうして、悪戯っ子の如く微笑む。
高い場所に立つと眺望がよくなる。 山での話だ。 人生の比喩として語ることには違和感を覚える。 むしろ、低い場所にいると高い場所がよく視えるものなのだ。 これは山にも一脈通じるエピソードでもあるのだが。
この場所で、いくつの言葉を記してきたのだろう。 立ち上がるため、積み重ねてきた? どうだろうか。 むしろ、たえずゼロへ向かって言葉を打ち込んできたのだ。 毎日まいにちスタートラインに立とうとして――。
超を冠した高齢社会を迎えた。 となれば、元気で健康な在り様が本来の姿といった視点では、つかみ切れない。 要支援・要介護こそ、本態ではないのかと――。 いや、今の社会ではなくとも。 病気で何が悪いのか。
あなたの中の子どもと出逢い直したい。 そのとき、わたしの中の子どもは目覚めてくれるだろうか? 必要ないさ、2人という関係の子どもが芽生えるから。 関係の縁側で脚をぶらつかせよう。 笑い出すわたしたち。
机上に置かれたペットボトル。 蓋を開け、コップへと注ぐ。 一口、二口と飲み、特に思い浮かぶこともなく、椅子に腰掛け直す。 窓の外には、すでに夕陽。 「あっ、詩だ」と体感、ゆっくりと読みたくなっていた。
問題を解決しようとしない? 致命的なことに、問題として認識していないときさえ。 格差社会、要は階級社会が進めば、戦争という名の公共事業を担う軍隊へと進むばかりだ。 その証明はしたくない。 断固として。
スパイはスパイ映画を視ない。 同様に、いや、それ以上に為政者は民の声を聴かない? 窓を開ければ、陽射しがカーテンの裾をくすぐり始める。 そうだ、そうした関係が欲しかった? 涼風も参加すればいいのだが。
死の床でさえ、言葉の嘘で、つながることができる。 問題は流儀。 作るより受信、加工するより耕すのだ。 素早く、性急な判断を廃し、甘い幻想から身を剥がして行く。 おもてなしではなく、「恩返しだよな」と。
いつ、どこで、どのように伝えること? 死そのものではなく、過程としての死を。 共に暮らしていけば伝わる領域はある。 もうすでに、愉しみや悦び、希望があっても構わない。 言葉を最後まで手放さないだけだ。
毎朝のことだ。 仏壇へ向かい、頭を軽く下げる人。 手のひらを合わせ、わずかの静かなしずかなときが流れていく。 一瞬、昔に移動したかのような、いや、未来にたどり着いたかのような。 祈る人に向かって祈る。
野良猫がいない街は息苦しい。 人々が憩う緑地の背景の高層ビルという資本の論理。 ホームレスになって当然の事態――。 が、その姿は消されていくのみ。 わたしたち、いや、わたしの居場所が消失していくのだ。
日記を公開するなら方法が必要だ、手紙としての。 手紙を閉じるなら決意が必要だ、日記に秘密を記すが如く。 誰が何と言おうと、伝えるべきは伝える。 伝えざるを得ないことも、また。 言葉は静かに待っている。
鍬を久しぶりに手にした。 土で育つ生命を食卓へ迎え入れるために。 今や青空はもちろん、雨降りもまた切なる願いの対象だ。 汗する労働と向き合う人々は、もはや存在感がない? が、身近に思う日々なのだった。
死ぬときだって元気、元の気が必要なのだろう。 何処かへ旅立つのだから。 息を引き取るまで、耳奥に届くものがあるからといって、励まさないで欲しい。 気が散って仕方ないもの。 抱きしめる別れの言葉こそを。
今も厚い靴下を履く杖が頼りの人々。 若く元気な医師に理解できぬ領域があって当然だ。 ただ、それ故、多くの患者たちを捌くことができる? 老化同様、超高齢社会に特効薬はない。 であるが故の人間という存在。
関係で大切なものは、何? まず、意味不明の緊張は緩ませること。 そうして、ほぐすのだ。 いつか気づくかも知れない、お互いが衒いなく、つながっていたと。 その場その時々の開かれたチームというヴィジョン。
60年以上生きてきて、分かったこともある。 至極納得のいくことなのだ。 どのようなことか? 権力の否定は当然として、どう身体化していくのかが、たえず問われているのだと。 無論、大声で言うことではない。
いつからか。 「こういう人であふれて欲しい」と思わなくなったのは。 思えなくなったのは。 理性ではなく、感受性に忍び込み、美しくも恐ろしい卵を産み付けていく策略が増えた? 効率ばかりだと非効率なのに。
悲しみに浅い深いがあるのか。 拡がっていくばかりの中で。 そも、相対的なものではないだろう。 ニュースは伝えてくる、「ご遺族は深い悲しみの中で――」。 それはそうだが、釈然としないまま、実は呆れている。
野営地にたどり着く。 木々を拾い集め点火を。 後はただ、火のダンスを眺めて杯を重ねるばかり。 いつしか、皆、押し黙っているが、互いの気持ちは通じ合っている。 身心豊かな時間、止まったときが流れていく。
自転車でのんびりフラフラと。 すると、走る青年たちが、突然横に。 いとも簡単に追い抜かれ、その姿はどんどん遠くへと。 何やら愉快・痛快な気分に。 ペダルを漕ぐスピードは同じまま、鼻唄まで出て来る始末。
「休めるの?」 「暦通りさ」 そうした会話を幾度してきたことだろう。 労働が休日に概ね食い込むが、それでも自然の懐へどんどんと入り込んでいく。 かくしてカレンダーは、月を眺める暦となっていくのだった。
介護は当事者ではなく、家族の問題? 施設でひどいことがあっても、文句は言えない、言わない。 だから、声は聞こえず、改善もされない? 働く人も、家族も、何より当事者も懸命に待っているのだ。 今日の楽を。
生計が立つ? 座りっぱなしさ、そのくせ楽ではない。 市民と呑むのは大変だ、ビールから始めるのだもの。 アル中予備軍とやるのは気楽でいい、財布にも、何より身心にも。 ちんちくりん、ああっ、ちんちくりん。
仮設住宅から静かな声が届く。 生活者の絶望を隠蔽するほど酷い国家もないだろう。 かの国を冷笑して済む場合ではない。 遠慮がちの呪いさえ届かせないような神。 すでにして神こそが呪われてしまっているのだ。