ダメでもいいではないか。
まずは、ダメさ加減を受容しなければと。
その器量を持ちたい、持つべき、持たざるを得ないのだったが。
そこからである、佳き道への歩みは。
かくして、月光は身近にいてくれるのだ。
www.youtube.com【喪失②/今日も少しだけ】
喪失体験。
困るのは、両親やきょうだい、友人、連れ合いなど、人の死か。
要は、想いのある人の死。
人は死ぬものと、分かっている。
それでも、理解・納得は進まないものだ。
ショックを受け、「んなバカな」と否定。
混乱もするだろう。
それでも、いつか受容を。
受容するしかないからだ。
過日、55年近く前の顔を知っている友人が、すい臓がんで、亡くなった。
「おいおい」と。
今も、受容はできてはいない。
「嘘だろ?」と。
両親のときは、どうだったか。
共に、がんで死んだ。
今も、父への病院への見舞い、母の在宅ホスピスについて、やり切ったという感覚は残っている。
それ故、感謝しているのだった。
「死への過程の全貌を見せてくれて、ありがとう」と。
何で読んだか忘れた。
要は、「食物の種子を子孫へ伝えることこそ宝」というのだった。
「なるほどね」と。
わたしは、父母から、死へのいたずらな恐怖をなくせる種子を受け取ったと想っているのだった。
「宝だよな」
どうか、今日もご無事で。
【追記/「さてっと」】
昨日は、ロクな夕食もとらずに、眠っていた。
夜中に起床、また眠っていたものだ。
佳き日々を。