深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

ようやく/言葉・259

「ようやく差別も偏見もなくなったな」
生きている間に言いたい。
終戦を迎えても、続くだろうから?
いや、戦争は今すぐ終結して欲しいので、比べるべきことではない。
とにかく、言いたくて仕方ないのである。

▲『剥き出しな』(写真)
最近、朝には公園へ出向く。
太極拳をするためにだ。そ
そこで、目に付いたのが、写真のシーンである。

www.youtube.com【喪失?①/今日も少しだけ】
 喪失体験。
 生きている過程で、多い。

 例えば、加齢とともに、身体機能は失われていく。
 体感中だ。

 賃労働もか。
 生きがいの喪失につながる人も多いとか。
 わたしには、理解できないのだったが。

 まだあるが、それは明日。
 いずれにせよ、結果は?

 うつ傾向になっても、おかしくはないか。
 ただ、わたしは違った。

 身体機能に関しては、現状維持を心がけても、無理だと了解している。
 最近、筋力の衰えを特に体感しているのだった。

 当面、自分で、食事・排泄、あるいは入浴はできそうである。
 いずれ、アウトになるのだろうが、そのときはそのときと。
 仕方ないのである。

 今は、野垂れ死にならぬ、野垂れ生きだが、「あはは、ついに来たか、野垂れ死に」と。
 諦めるしかないではないか。

 賃労働についても生きがいにしてしまうあたりが、分からない。
 疎外の前線だからである。
 失って食べられなくなったりすれば問題だが、そのときは即、動くしかないだろう。

 まずの食事への安心である。
 以前、ホームレスが、橋の下で、野菜の自給自足をしていて、「おっ」と。
 沁みたものだ。

 どうか、今日もご無事で。


【追記/脚が…」】
 今日はよく動いた。
 できないことだらけ。
「ひえええっ」
 脚がすでに、痛くなっているのだったが。

 佳き日々を。