「ようやく差別も偏見もなくなったな」
生きている間に言いたい。
終戦を迎えても、続くだろうから?
いや、戦争は今すぐ終結して欲しいので、比べるべきことではない。
とにかく、言いたくて仕方ないのである。
www.youtube.com【喪失?①/今日も少しだけ】
喪失体験。
生きている過程で、多い。
例えば、加齢とともに、身体機能は失われていく。
体感中だ。
賃労働もか。
生きがいの喪失につながる人も多いとか。
わたしには、理解できないのだったが。
まだあるが、それは明日。
いずれにせよ、結果は?
うつ傾向になっても、おかしくはないか。
ただ、わたしは違った。
身体機能に関しては、現状維持を心がけても、無理だと了解している。
最近、筋力の衰えを特に体感しているのだった。
当面、自分で、食事・排泄、あるいは入浴はできそうである。
いずれ、アウトになるのだろうが、そのときはそのときと。
仕方ないのである。
今は、野垂れ死にならぬ、野垂れ生きだが、「あはは、ついに来たか、野垂れ死に」と。
諦めるしかないではないか。
賃労働についても生きがいにしてしまうあたりが、分からない。
疎外の前線だからである。
失って食べられなくなったりすれば問題だが、そのときは即、動くしかないだろう。
まずの食事への安心である。
以前、ホームレスが、橋の下で、野菜の自給自足をしていて、「おっ」と。
沁みたものだ。
どうか、今日もご無事で。
【追記/脚が…」】
今日はよく動いた。
できないことだらけ。
「ひえええっ」
脚がすでに、痛くなっているのだったが。
佳き日々を。