かつて親しくした人。
わたしの中で、今も若いまま生きている。
老いて生きていたとしよう。
万が一、再会したとしても、若いままなのだろう。
話をしているうちに、若いころの相貌が現れることは分かっている。
▲『切実な句』(写真)
重信房子氏は獄中で、遠山美枝子氏をしのび、『三月哀歌』と題した短歌を多く詠んだそうだ。
新聞ガミに掲載されていた句を読み、何となく写真で撮っていた。
「ああ友よなぜ留まったのか雪山に卑怯になれない君の過ち」
www.youtube.com【怖いことだ/今日も少しだけ】
「スマホのショックドクトリン」という言葉と出逢った。
「なるほどな」と。
では、そもそも、ショックドクトリンとは、何か。
ウェブには、こう出ている。
>「ショック・ドクトリン」とは,ある社会に壊滅的な惨事が発生した直後の,人々がショック状態に陥り,茫然自失のまま抵抗力を喪っているときに,そのような衝撃的出来事を好機と捉え,巧妙に利用する政策手法のこ とである。
では、スマホのショックドクトリンとは、何か。
ウェブで、自分と同じ意見を読んでいるうちに、同じ意見の記事だけがヒットしてしまうというケースのようだ。
とはいえ、歴史の改ざん記事など読みたくはない。
そもそも、自分の意見など、情報時代に、いちいち持っていられないという落とし穴もあるのだったが。
ともあれ、生き延びていくうえで、悪と遠く、少しでも善なる方向が知りたいだけである。
具体的なアイデアとともに。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
はしゃぐことと、明るさは違う。
賑やかなことと、陽気さも違うのだったが。
テレビのお笑い番組を視ていて、痛感していた。
「日常的にも勘違いが跋扈しているよなあ…」
佳き日々を。