残りの人生は、生きてきたときよりも短いのだろう。
いや、短期間だ。
そのすべてを使っても体験できない書物や音盤、映像など。
それでも、新しいものは出し続けられていく。
目の前にあるものと正対していく。
【「おれなんて」とは想わない/今日も少しだけ】
昭和の子どもたち。
自動車が珍しく、追いかけたという。
記憶にはない。
が、似たようなことはしていたはずだ。
高速道路の下に立ったときのことだ。
「雨に濡れないよな」
「んだんだ」
そう、友だちと笑いあった記憶がある。
今、想うと、「何と愚かな」となるか。
今とは違うヴィジョンに立脚すれば、高速道路の弊害も指摘できるからだ。
「おれなんて」という想い方はしない。
そう想ったとき、いい方向は失われてしまうからである。
どうか、今日も、ご無事で。
ちなみに、貼り付けた動画には、グッと来ていた。
「嬉しいぜっ」と。
老いたポールと、若いジョンのビートル・ツー。
ゴールデンウイークのゴールデンな贈り物みたいな^^。
こうした技術なら、大歓迎なのだった。
【追記/「それにしても…」】
死の報道ばかりか。
「ううむ」
道志村へはかつて、よく通った。
知床にしろ、懐かしい。
合掌をしていた。
戦禍の報道も多い。
片方に依拠した。
それにしても、軍需産業の問題を何故、突かないのか。
株価の上がった日本の企業もあるのだった。
停戦できない理由は、本当のところ、何処にあるのだろう?
事実に基づいた総括が出るころ、わたしは生きているのだろうか?
そう感じてもいる。
佳き日々を。