今日も賃労働へ。
働かないといけない状況である。
まさか古希を迎えても働いているとは。
若いときに、予感はしていたが、しかし、実際にそうなるとは、仕方なしか。
自転車に跨ったとき、「身心を整えて」と。
www.youtube.com【合掌の正月/今日も少しだけ】
想い出していた。
女性評論家に話をうかがったときのことを。
「被災者にかける言葉などない」
そう、彼女はうなだれていた。
励ましの言葉など、うつろというわけだ。
「ただ」と彼女は顔をあげた。
「ただ、ひとりだけ、届く言葉を発した方がいました」と言うのである。
こうだ。
「美智子さんです。
彼女は、こう言ったのです。
“助かってくれてありがとうございます”と、一人ひとりに向かって、静かに語りかけた…」
どちらかというと、立場は真逆な方の、屈折しつつもストレートな思慕。
感じ入った。
そうした折、高校時代のクラスメートの医師が、ラインで報告してきた。
「羽田で処置中」と。
何が起きるか、分からない時代は続く。
「お達者で」
そうして、どうか、今年も、ご無事でと。
【追記/「さてっと」】
小倉遊亀氏105歳のときの句という。
こうだ。
のどかなり 願いなき身の 初詣
「確かに、いい句だな」
すでに無事を願い、祈りばかりの災害が起きてしまった。
だからこそ、余計に響くのだったが。
生き延びて欲しい。
苦労などしないで。
佳き日々を。