相倉久人さんは言った。
「今、目の前にあるときだけが、ぼくのもの」
残された人生で読みたいもの・聴きたいもの・見たいもののすべてと接するのは無理だ。
今、目の前にあるもの。
どう接するかこそが肝心か。
▲『ヨーイ』(写真)
文字を記して、分かった。
「ああ、用意どんか」
用意して、どんどん走れ^^。
古希を迎えて、今までの無知を、今日も知ったのだった。
www.youtube.com【今も羅生門/今日も少しだけ】
下山事件を想う。
そうして、案の定、石井こうき氏のことを想起した。
当時、石井氏が生きていたのなら、勇猛果敢に真相解明に挑んだのではないのかと。
事実、石井氏が殺される前に、その時点での下山事件に手を突っ込んでいたのだとも想えるのだった。
その後も、下山事件は続いている。
独立も、自主等々も遠い、この国なのだから。
それにしても、戦後民主主義の虚妄はすでに、明らかになってしまった。
新興宗教に、敗戦国の奴隷現象等々。
まさに、「今ここの羅生門」だらけである。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
腰が痛む。
眠い。
今日の100円ヨーガ教室でのことだ。
結果、死体のポーズのとき、いびきをかいてしまった。
「ああ、今、おれはいびきをかいているな」
そう、感じつつ、眠っていたのである。
佳き日々を。