深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

サウンド・オブ・サイレンス2024/マザーネイチャー・77

静寂とは、単に人のいない状態ではない。
心の持ち方だ。
事実、人がいなくても喧しいと感じるときはあるし、人がいても静かなときはある。
できれば、静寂の中で今を感じていたい。
生命を体感していたいのだ。

▲『育つ』(写真)
足もとを何気に視る。
「あらまあ」
木が。
どこまで大きくなるのだろう。
「場所を覚えておけばよかったな」
軽く後悔していた^^。

www.youtube.com【場末?/今日も少しだけ】
 場末。
 嫌いではない。
 いや、むしろ好きか。

 あの『広辞苑』によれば、「都市で、中心部から外れたところ。町はずれ」となる。
「都市の中心部から離れた、ごみごみしたところ」との定義もあった。

 ただ、「これだけではなあ」と。
 要は、混沌さに触れて欲しいというわけだ。

オルタナティブは、次の予感」(相倉久人氏)
 そうした文脈も入れてほしかった。

 秩序と混沌。
 その両者があってこその、生命ではないのかと。

 もっとも、秩序の中にも混沌は蠢いている。
 混沌の中にも、秩序は生成しているはずだ。

 ひなびた場末に、盛り上がる盛り場。
 コロナ禍によって、盛り上がる場末に、ひなびた盛り場もまた、出現している。

 平らになるだけではなく、隆起もあるダイナミズムのためにも、あれこれあっていい。
 あって欲しい。

 そうだ。
 場末には、隠れられるという長所があったのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 身心をボチボチ、休めるかなと。
「眠いものなあ」
 佳き日々を。