静寂とは、単に人のいない状態ではない。
心の持ち方だ。
事実、人がいなくても喧しいと感じるときはあるし、人がいても静かなときはある。
できれば、静寂の中で今を感じていたい。
生命を体感していたいのだ。
www.youtube.com【場末?/今日も少しだけ】
場末。
嫌いではない。
いや、むしろ好きか。
あの『広辞苑』によれば、「都市で、中心部から外れたところ。町はずれ」となる。
「都市の中心部から離れた、ごみごみしたところ」との定義もあった。
ただ、「これだけではなあ」と。
要は、混沌さに触れて欲しいというわけだ。
「オルタナティブは、次の予感」(相倉久人氏)
そうした文脈も入れてほしかった。
秩序と混沌。
その両者があってこその、生命ではないのかと。
もっとも、秩序の中にも混沌は蠢いている。
混沌の中にも、秩序は生成しているはずだ。
ひなびた場末に、盛り上がる盛り場。
コロナ禍によって、盛り上がる場末に、ひなびた盛り場もまた、出現している。
平らになるだけではなく、隆起もあるダイナミズムのためにも、あれこれあっていい。
あって欲しい。
そうだ。
場末には、隠れられるという長所があったのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
身心をボチボチ、休めるかなと。
「眠いものなあ」
佳き日々を。