この時勢、不安は当然だろう。
怖いのも当たり前だ。
できれば、直接的な不安・恐怖でなければいいのだが。
安心立命の身心があっての不安・恐怖なら、脱出口も感得できるのだろう。
夢よりもまず、大切な点だ。
【寂しい?/今日も少しだけ】
誰かが書いていた。
記憶にない誰かが。
ザ・バンドの映画『ラストワルツ』を視て、寂しさを感じたというのである。
「えっ?」と。
確かに解散コンサートなのだから、寂しくて当然か。
ただ、視た当時は、違った。
普段、聴いてきた歌い手たちの動く姿を視ることができただけで、感銘したのである。
今、視ると、どうなのか。
YouTubeなどの映像に慣れたこともあり、コンサートの寂しさの実相を感得できるのだろう。
「ただなあ」と。
「あれだけの人々が集まったんだもの、寂しさだけではないよなあ」とは想う。
いつかまた、視てもいいかなと。
ということはもう、視ないかもしれないということか?
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「たまげたなあ」】
写真一番左の方。
屈託のない作り笑顔^^。
その後、ギターを燃やしちゃうと想うぞ。
「たった一人で、ヴェトナム戦争と闘っているような音」(相倉久人さん)を出すと想うんだぞ。
うむ。
上に貼り付けた映像では、すでに頭が爆発している。
中学のとき、テレビから流れてきて、たまげた。
バラードなのに^^
佳き日々を。