悪意のないことが、必ずしもよい作用を及ぼすとは限らない。
善意が利権と結びついていくときがあるからだ。
気づく。
日常に巣喰ういくつもの視えない落とし穴。
わたしもまた、落とし穴の住人だと呆然とする。
【介護にも役立つ武術/今日も少しだけ】
古武術の映像を視た。
「へえっ」
膝を伸ばさないほうが、自由に動けるとのことだ。
確かに映像を視ると、その通りだった。
敵に殺されない工夫、技か。
要は、負担をかけるところが、今とは違うのだった。
かつての日本人には、いわゆる膝がなかったとの話にも、「えっ?」、「そ、そうなのかあ」と。
明治以降の軍国主義によって、変化してしまった身体や心、脳の使い方。
そう感じてしまった。
そもそも、学ぼうとする前に、外国の子どもは外国語を使っている。
身心もまた。
そうしたことか。
前々から興味だけはあったが、まだ活用にはいたっていない。
ただ、年とともに、席を立つとき、億劫なときがあり、古武術の方法を試してみた。
すると、存外、ラクに立ち上がれたのである。
要は、頭を下げ、重心の位置を変えると、割とスムーズに立ち上がれるのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「そうだよなあ」】
古武術はだいぶ前から、介護の分野でも役立っているという。
「そうだろうなあ」
奪われた身体の使い方を取り戻せ、そう感得もしたのだったが。
佳き日々を。