深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

落とし穴の中で/令和問わず語り・66

悪意のないことが、必ずしもよい作用を及ぼすとは限らない。
善意が利権と結びついていくときがあるからだ。
気づく。
日常に巣喰ういくつもの視えない落とし穴。
わたしもまた、落とし穴の住人だと呆然とする。

▲『緑の壁』(写真)
幾分は涼しいはずだ。
暮らす方々に聴いたわけではない。
ただ、視ただけで、そう感じていのである。

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【介護にも役立つ武術/今日も少しだけ】
 古武術の映像を視た。
「へえっ」

 膝を伸ばさないほうが、自由に動けるとのことだ。
 確かに映像を視ると、その通りだった。
 敵に殺されない工夫、技か。

 要は、負担をかけるところが、今とは違うのだった。
 かつての日本人には、いわゆる膝がなかったとの話にも、「えっ?」、「そ、そうなのかあ」と。

 明治以降の軍国主義によって、変化してしまった身体や心、脳の使い方。
 そう感じてしまった。

 そもそも、学ぼうとする前に、外国の子どもは外国語を使っている。
 身心もまた。
 そうしたことか。

 前々から興味だけはあったが、まだ活用にはいたっていない。
 ただ、年とともに、席を立つとき、億劫なときがあり、古武術の方法を試してみた。

 すると、存外、ラクに立ち上がれたのである。
 要は、頭を下げ、重心の位置を変えると、割とスムーズに立ち上がれるのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そうだよなあ」】
 古武術はだいぶ前から、介護の分野でも役立っているという。
「そうだろうなあ」
 奪われた身体の使い方を取り戻せ、そう感得もしたのだったが。

 佳き日々を。