アメリカは闘う前から考えていたという。
占領政策をである。
圧倒的な武器に身体性など、持ち出すまでもない。
敵うはずもなかったのである。
仮にそうしたことを知ったとしても、戦争へ進んだだろう阿呆ぶり。
【マンガの威力/今日も少しだけ】
高校のとき、頭部打撲で入院したことがある。
もう半世紀以上も前のことだ。
そのとき、大学の教授が入院してきた。
病室は、野戦病院の様相でもあったか。
教授と話した。
彼は言う。
「学生と1から話していく。
1つひとつ、丁寧に。
ただ、最後まで来ると、物別れになっている」
わたしは、「仕方ないよな、感覚が違うのだもの」と体感していたことを、今でもよく、覚えている。
昔むかしのことなのだが。
彼は続けて言った。
「君はマンガを読むかね」
「ええ、まあ」
「わたしは、可能性を感じているんだ」
「えっ?」
「言葉だけではないからね」
そこで、尋ねた。
どのようなものを読んでいるかと。
彼が挙げたマンガを聴き、「ああ、違うんだよなあ」と痛感していたことも、よく覚えている。
そのときすでに、宮谷一彦氏や真崎守氏、岡田史子氏やつりたくにこ氏等々、新世代が怒涛のように登場していたのだった。
わたしは苦笑し、いくつかのマンガについて話したのである。
すると、彼は、「そうか、読んでみるよ、勉強してみるよ」と。
翌々日、教授は、何人かの弟子たちが迎えに来て、退院していった。
「大丈夫なのかな」
教授が消えて、ほどなくして、同じ病室の講師が話しかけてきた。
「君は、よくあんな偉い方と平気で話せたね」
それまで、大学の問題で、威勢のいいことを言っていた講師は、手のひら返しのようなことを言ってきたのだった。
隣を視る。
盲腸炎をこじらせた、わたしより年上の、愛嬌がある職人と目が合う。
職人は、わたしと同じ気持ちになっていたのだろう。
苦笑していた。
どうか、今日も、ご無事で。
それにしても、あの教授は、その後、伝えたマンガをしっかり、“お勉強”したのだろうか?
もし、手にしたら、頭を抱えたことだけは、高校生にでも分かったのだったが。
【追記/「そうだよなあ」】
友人がメールをしてきた。
こうだ。
前は公明党のポスターがはってあると「この家は創価学会か~」と思いました。
最近は自民党のポスターがはってあると「この家は統一協会か~」と思うようになりました。
確かに。
わたしも、そうなのだった。
佳き日々を。