深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

間抜けそのもの/戦争・24

アメリカは闘う前から考えていたという。
占領政策をである。
圧倒的な武器に身体性など、持ち出すまでもない。
敵うはずもなかったのである。
仮にそうしたことを知ったとしても、戦争へ進んだだろう阿呆ぶり。

▲『モップ』(写真)
プールの更衣室である。
床を濡らしてモップを使う人もいれば、使わない人も。
子どもは、遊びとして愉しんでいた。
「見習いたいものだよな」

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【マンガの威力/今日も少しだけ】
 高校のとき、頭部打撲で入院したことがある。
 もう半世紀以上も前のことだ。

 そのとき、大学の教授が入院してきた。
 病室は、野戦病院の様相でもあったか。

 教授と話した。
 彼は言う。
「学生と1から話していく。
 1つひとつ、丁寧に。
 ただ、最後まで来ると、物別れになっている」

 わたしは、「仕方ないよな、感覚が違うのだもの」と体感していたことを、今でもよく、覚えている。
 昔むかしのことなのだが。

 彼は続けて言った。
「君はマンガを読むかね」
「ええ、まあ」
「わたしは、可能性を感じているんだ」
「えっ?」
「言葉だけではないからね」

 そこで、尋ねた。
 どのようなものを読んでいるかと。

 彼が挙げたマンガを聴き、「ああ、違うんだよなあ」と痛感していたことも、よく覚えている。
 そのときすでに、宮谷一彦氏や真崎守氏、岡田史子氏やつりたくにこ氏等々、新世代が怒涛のように登場していたのだった。

 わたしは苦笑し、いくつかのマンガについて話したのである。
 すると、彼は、「そうか、読んでみるよ、勉強してみるよ」と。

 翌々日、教授は、何人かの弟子たちが迎えに来て、退院していった。
「大丈夫なのかな」

 教授が消えて、ほどなくして、同じ病室の講師が話しかけてきた。
「君は、よくあんな偉い方と平気で話せたね」
 それまで、大学の問題で、威勢のいいことを言っていた講師は、手のひら返しのようなことを言ってきたのだった。

 隣を視る。
 盲腸炎をこじらせた、わたしより年上の、愛嬌がある職人と目が合う。
 職人は、わたしと同じ気持ちになっていたのだろう。
 苦笑していた。

 どうか、今日も、ご無事で。

 それにしても、あの教授は、その後、伝えたマンガをしっかり、“お勉強”したのだろうか?
 もし、手にしたら、頭を抱えたことだけは、高校生にでも分かったのだったが。


【追記/「そうだよなあ」】
 友人がメールをしてきた。
 こうだ。

 前は公明党のポスターがはってあると「この家は創価学会か~」と思いました。
 最近は自民党のポスターがはってあると「この家は統一協会か~」と思うようになりました。

 確かに。
 わたしも、そうなのだった。
 佳き日々を。