確かに、3Kだの4Kだのの賃労働はある。
汚くて危険、きつい――。
しかも、暮らすことさえ危ぶまれる給料といった按配だ。
わたしもまた、同様か。
が、高齢者になってまで働いているとは想いもしなかった。
www.youtube.com【介護?/今日も少しだけ】
「人は、要介護5で生まれ、要介護5で亡くなっていく」
その通りだと想った。
だから、身心が動くうちに、争いなどと縁がなく、生を愉しめればいいなと。
が、要介護5とは、何か。
「日常生活全体で介助を必要とし、コミュニケーションを取るのも難しい状態」とも出ていた。
しかも、子どもには未来があり、成長していく。
高齢者は、死でピリオドである。
ともあれ、乳幼児・高齢者ともに、生きている。
つまり、コミュニケーションは何らかのカタチで取っているはずなのだ。
事実、死んでいく父母に語りかけたとき、応じたものだ。
耳は最後まで聴こえるとの話も想い出す。
何より、人は、死の少し手前まで、外界と接していて、反応するものなのだ。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「スゲッ」】
高校のとき、よく聴いていた音盤。
例えば、ディランの『ブロンドオンブロンド』がある。
その中の1曲を貼りつけた。
ディランが20歳代のときに作った唄を、80歳代になっても歌う。
「スゲッ」
佳き日々を。