想ってきた、若いころから。
「それでよくなるなら、踏み台にしていけよ」
気取ったり、すかしたり、想い上がったりしているわけではない。
率直に想ってきたのだ。
ただ、「おれも生きられる場所を作れよ」と。
【愉しみを耕す=とんずらウオーキング②=/今日も少しだけ】
わたしは、「ただ、歩いていてもなあ」とのことから、音盤を聴きながら、歩く。
音盤は、目についたものを、気分によって選ぶ。
と同時に、十分に聴いたとはいえない音盤か。
時間があるときは、音盤2、3枚分、歩く。
時間の目安にもなっている。
結果、歩くところは、近隣にある土のウオーキング・コースなどか。
たとえ自転車とはいえ、車輪のあるものに、ぶつかったり、轢かれたくないのだった。
存外、悪くない。
いや、いい。
足裏が心地よく、かかっている音盤もちょうど気分に合致し、浮かれてステップを踏んで、進んだときがある。
すると、進行方向からは、人。
あはは、何だか止めるわけにもいかず、ステップを踏みながら進み、間抜けな己を痛感したことだ。
もちろん、平気な顔を装ったのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
(以下、明日へ続く)
【追記/「眠るか」】
「いやあな日々だぜ」。
国辱以外の何ものでもない国葬。
ま、そんな国であり続けてきたんだけれどさ。