年下だが、国葬される人より長生きだけはしたいと。
実現したが、たまげている。
当然、それだけではダメだったのだ。
同じように嘘・隠蔽の手合いが、次から次に。
人生何年あっても足りないほどなのだったが。
【愉しみを耕す=とんずらウオーキング①=/今日も少しだけ】
愉しみについて、想いを巡らしていた。
あれこれと。
そうして、「あっ、そうかあ」と。
「身体を使うことが、愉しみの基本にあるのかも知れない」
気づいていたことを、あらためて感じたのだった。
実際、高齢となり、身体を想うように使えなくなったとき。
例えば、病気の回復後、自分1人で食事ができたとする。
感動のあまり泣いてしまったという話も、聴いたことがあるのだった。
さて、運動の基本と言えば、何か。
やはり、ウオーキングか。
わたしもまた、体感している。
「できれば、死ぬ前まで、歩くことができるといいな」と。
無理か。
ただ、想いは、そこにある。
そうして、「やはり無理だったか」となるのだろう。
が、今は、できるだけ歩きたいと。
どうか、今日も、ご無事で。
(以下、明日へ続く)
【追記/「大丈夫さ」】
「合掌などしてたまるか」と。
サタン?
あはは、貧しい民を追い込んだ連中こそサタン、呪われるさ。
大丈夫。
今日、仮に事故に遭ったとしても。
それは、必然ではない。
勝つことはないだろう。
が、ケッ、今の為政者たちに負けるわけにはいかないのだった。
そうした折、ダチがメールしてきた。
こうだ。
9月24日(土)のTBS『報道特集』。
金平キャスターのレギュラー出演最後の回に、内田樹が自宅の書斎でのインタビューに応じていて、三代続いた、政治家一家について語っていた。
例の「対米従属を通じての対米独立」がこの一家の家訓で、この屈託に比べれば、嫌韓のはずなのに、統一教会べったりというのは、何ほどのこともないのではないか。
昨日まで戦っていた相手に膝を屈して、お付き合いするのだから。
みたいなことを言っていた。
確かに、爺さんに至っては、絞首刑になりかけたところを救われて、見返りにちゃっかり、エージェントになっちゃうという、わりとアクロバティックな生き方だったし。
一読、「そうだよなあ」と。
今日は、三代目の国葬だったとか。
何だそれ?
佳き今日を。