深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

今日困っていること/この領土で・780

年下だが、国葬される人より長生きだけはしたいと。
実現したが、たまげている。
当然、それだけではダメだったのだ。
同じように嘘・隠蔽の手合いが、次から次に。
人生何年あっても足りないほどなのだったが。

▲『疾駆』(写真)
チャリ徘徊時のワンシーンだ。
撮った記憶はない。
惚けたか。
が、おさまっていたのだった。
「へえ、面白いものだな」

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【愉しみを耕す=とんずらウオーキング①=/今日も少しだけ】
 愉しみについて、想いを巡らしていた。
 あれこれと。

 そうして、「あっ、そうかあ」と。
「身体を使うことが、愉しみの基本にあるのかも知れない」
 気づいていたことを、あらためて感じたのだった。

 実際、高齢となり、身体を想うように使えなくなったとき。
 例えば、病気の回復後、自分1人で食事ができたとする。
 感動のあまり泣いてしまったという話も、聴いたことがあるのだった。

 さて、運動の基本と言えば、何か。
 やはり、ウオーキングか。

 わたしもまた、体感している。
「できれば、死ぬ前まで、歩くことができるといいな」と。
 無理か。
 ただ、想いは、そこにある。

 そうして、「やはり無理だったか」となるのだろう。
 が、今は、できるだけ歩きたいと。

 どうか、今日も、ご無事で。
(以下、明日へ続く)

 【追記/「大丈夫さ」】
「合掌などしてたまるか」と。
 サタン?
 あはは、貧しい民を追い込んだ連中こそサタン、呪われるさ。

 大丈夫。
 今日、仮に事故に遭ったとしても。
 それは、必然ではない。

 勝つことはないだろう。
 が、ケッ、今の為政者たちに負けるわけにはいかないのだった。

 そうした折、ダチがメールしてきた。
 こうだ。

 9月24日(土)のTBS『報道特集』。
 金平キャスターのレギュラー出演最後の回に、内田樹が自宅の書斎でのインタビューに応じていて、三代続いた、政治家一家について語っていた。
 例の「対米従属を通じての対米独立」がこの一家の家訓で、この屈託に比べれば、嫌韓のはずなのに、統一教会べったりというのは、何ほどのこともないのではないか。
 昨日まで戦っていた相手に膝を屈して、お付き合いするのだから。
 みたいなことを言っていた。
 確かに、爺さんに至っては、絞首刑になりかけたところを救われて、見返りにちゃっかり、エージェントになっちゃうという、わりとアクロバティックな生き方だったし。

 一読、「そうだよなあ」と。
 今日は、三代目の国葬だったとか。
 何だそれ?

 佳き今日を。