深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

気にする・しない、どちらも迷惑?/死を想う・54

死者を悼む習慣。
さいころから慣れ親しんできた。
若いときには、うんざりしていたが。
今、想う、いつまでも線香はあげられ続けるのだろうかと。
死は悼むだけの対象であり続けるのだろうかと、青空を探す。

▲『一本道2022』(写真)
わたしは、主義者か。
何の?
小道の。
歩いているだけで、愉しいのだった。

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【愉しみを耕す=なんちゃってヨーガ①=/今日も少しだけ】
 そうだ、最初は、太極拳を始めたのだった。
 30歳代半ばのことか。

 周囲に倒れる奴が出始めて、「こりゃあ、何かしないとな」と。
 すると、友人が言った。
太極拳がいいと想うよ」

 始めて、すぐに分かった。
 からだが硬いと。
「まいったな」

 そこで始めたのが、ヨーガである。
 しびれた^^。
 からだは硬いままで、何とも情けないあり様だったが。

「偉そうなことを言っても、自分のからだ1つ、十分に使えないなんて、しょうがねえよなあ」
 率直な想いだった。

 呼吸法には、蒙を啓かれた。
 いくつもの対位法にも。

 いつしか、コツをつかみ、逆立ちができるようになっていた。
「だから、何なんだ」と言われても、困るが。

 オウム真理教が事件となったとき、いかれる連中が出たことは、「当然だろうな」とも想った。
 身心は硬いままでも、確かに発見があったのだから。
 それも一等身近な自分という場所で。

 どうか、今日も、ご無事で。
(以下、明日に続く)

 

【追記/「そりゃあそうだよなあ」】
  家訓が、「対米従属を通じての対米独立」の一家。
 爺さんは、逸見アナウンサーに、「あれは侵略戦争ですよ」と率直に応えていた。

 大昔、刺されたとき、大人たちは言っていたものだ。
「だらしねえなあ、あれぐらいのことで」
 そりゃあそうか、大人たちは、戦争へ行ってきたんだもの。

 佳き今日を。