今の望みを問う。
まず静かに暮らすことを想う。
「それのみでいいのでは」とさえ感じた。
余計な心配・心配の余計さがないのも、何よりではないか。
そうして、心底、春の陽射しを愉しむだけでいいのだったが。
【『ラジオ』を視た/今日も少しだけ】
過日、図書館へ。
ドラマ『ラジオ』の上映会があったのである(上掲参照)。
案内には、こうあった。
被災地・女川で、「ブログ」と「ラジオ」を経験し、自分自身を取り戻していく女子高生と仲間たちの物語は、震災を描くドラマではない。「心」の復興を描くドラマである。
何だか通り一遍の紹介だが、後半、鼻をすする音が、そこかしこから。
わたし自身も、グッと来ていた。
ここのところ視たあれこれの中でも、格別のドラマだったか。
ドキュメンタリー系の中でも、『シカゴ7』や『アメリカンユートピア』、『ボヘミアンラプソディー』より、響いてくる領域があったのだった。
東京の電力は福島から供給されているものの、瓦礫は受け入れない云々といった点も、長く気になっていたことだ。
その一端も想起できたのである。
何より、今の戦争をも反射的に想っていたのだった。
あれから、11年。
地震が起きるたびに、「ひでえよなあ」と。
メルトダウンした国に暮らしているのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
何とか起きてきた。
あはは、賃労働に追われている日々に。
「さて、テイクアウトしてきたアレコレを夜にはやらないとな」
それまでは、少しの小休止、からだを少しでも動かすかと。
佳き日々を。