深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

「ざまあみろ」/戦争・8

人が死ぬといいと想う、いやあな奴になってしまった。
実際に死ねば慶ぶだろう。
ロシアへ行こうともしない、戦争の火種作りにご執心の、あの御仁。
9・11のとき。
「ざまあみろ」と放った日本の高齢者もいた。

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▲『桜・1』(写真)
「おっ」
今年も律儀というか、自然に咲いてくれた自然。
率直に嬉しい。

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▲『桜・2』(写真)
遠くへ行きたいとは想わない昨今。
都合よく、桜が咲き始めていた。
視界から桜が消えないよう、しばし歩くのだった。
快適な瞑想の如し。

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▲『亀』(写真)
のんびりしていた。
しばし、眺めていたのである。
当方も、何やら、のんびりと。

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【メディアについて/今日も少しだけ】
 ここのところ、日本の大手メディアの在り様に、あらためて疑問を。
 いや、憤りを感じ、古い本を探し出して来た。

 何か。
 エンツェンスベルガーの『メディア論の積み木箱』(河出書房新社)である。

 20歳代の前半、学生のころ、菅靖彦さんから借りたままの本だ。
 菅さんは、翻訳家・トランスパーソナル心理学者として、活躍しているようだ。

 わたしと出逢ったときはまだ、吉祥寺の『ロコ』という地下のジャズ喫茶でアルバイトをしていた。
 ハンバーグやカレーの作り方などを教えてもらったっけ。

 ともあれ、変革のメディアではなく、メディアの変革が重要だと。
 もう半世紀以上も前に知った文脈だ。

 前者は、プロパガンダに堕してしまう。
 しかし、後者は、どうか。
 総括として、次のように記している。
 かったるい物言いだが、一応紹介すると、こうだ。

【抑圧的メディア使用】
 中枢司令プログラム
 一人の伝達者、多数の受容者
 孤立化した個人の不可動化
 受動的な消費者としての態度
 脱政治家過程
 スペシャリストによる生産
 所有者、または官僚によるコントロール

 一方、対抗するメディアは、どうか。
【解放的メディア使用】
 権力分散的プログラム群
 各受容者は潜在的伝達者
 大衆の可動化
 参加者の相互作用、フィードバック
 政治学習過程
 集団的生産
 自己組織化による社会的コントロール

 いいではないか。
 が、今もなお、大手をふるっているのは、いわゆる西側・東側ともに、相変わらずの抑圧的メディアというわけか。


 同書では、グローバル化や環境イデオローグ等々の問題についても、すでに予見している。
 宇宙船地球号という、今の持続可能な開発目標につながる問題についても、一等船室と三等船室があるではないかと。

 ちなみに、エンツェンスベルガーは、来日時、「何もかも分かっていて、何もしないインテリゲンチャ(!)」に不満を持ったそうだ。
 そこには、寺山修司氏なども入っていたというから、たまげる。

 ともあれ、インターネットの登場は、解放的メディアの可能性を示した。
 が、そこでさえ、抑圧的メディアの引用にあふれているのだった。

 厭世的に考え、楽観的にやっていくしかないのは、半世紀以上経った今も、あはは、同じなんだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そうだよなあ」】
 友人から、メールが。
 こうだ。

 アメリカが例の世界恐慌の影響から完全に脱却できたのは、第二次世界大戦後だという(やっぱりね)。
 拡大し続けなければいけない経済は、戦争を欲するのだろう。
 GAFAが盛り上がる以前のアメリカの輸出産業は、(例のタコが爆買いした)武器しかなかった。
 従って、定期的に在庫一掃棚卸のバーゲンセールが不可欠だった。
 だから、彼の国はコンスタントにそれを実行したんだろうね。
 人道に対する罪は、非西洋人には適用されないようだし、思い切って人体実験ができたわけだ。
 かつては、ソ連、その後は中国、北朝鮮、ロシア、それぞれとの出来レースだったんだろうけど、
 今回のプーちゃんは、何をトチ狂って、チョビ髭の轍を踏んでしまったのだろうか。

「ううむ」とうなっていた。
 そうして、同感に旨を返信をしていた。
 佳き日々を。