人が死ぬといいと想う、いやあな奴になってしまった。
実際に死ねば慶ぶだろう。
ロシアへ行こうともしない、戦争の火種作りにご執心の、あの御仁。
9・11のとき。
「ざまあみろ」と放った日本の高齢者もいた。
【メディアについて/今日も少しだけ】
ここのところ、日本の大手メディアの在り様に、あらためて疑問を。
いや、憤りを感じ、古い本を探し出して来た。
何か。
エンツェンスベルガーの『メディア論の積み木箱』(河出書房新社)である。
20歳代の前半、学生のころ、菅靖彦さんから借りたままの本だ。
菅さんは、翻訳家・トランスパーソナル心理学者として、活躍しているようだ。
わたしと出逢ったときはまだ、吉祥寺の『ロコ』という地下のジャズ喫茶でアルバイトをしていた。
ハンバーグやカレーの作り方などを教えてもらったっけ。
ともあれ、変革のメディアではなく、メディアの変革が重要だと。
もう半世紀以上も前に知った文脈だ。
前者は、プロパガンダに堕してしまう。
しかし、後者は、どうか。
総括として、次のように記している。
かったるい物言いだが、一応紹介すると、こうだ。
【抑圧的メディア使用】
中枢司令プログラム
一人の伝達者、多数の受容者
孤立化した個人の不可動化
受動的な消費者としての態度
脱政治家過程
スペシャリストによる生産
所有者、または官僚によるコントロール
一方、対抗するメディアは、どうか。
【解放的メディア使用】
権力分散的プログラム群
各受容者は潜在的伝達者
大衆の可動化
参加者の相互作用、フィードバック
政治学習過程
集団的生産
自己組織化による社会的コントロール
いいではないか。
が、今もなお、大手をふるっているのは、いわゆる西側・東側ともに、相変わらずの抑圧的メディアというわけか。
同書では、グローバル化や環境イデオローグ等々の問題についても、すでに予見している。
宇宙船地球号という、今の持続可能な開発目標につながる問題についても、一等船室と三等船室があるではないかと。
ちなみに、エンツェンスベルガーは、来日時、「何もかも分かっていて、何もしないインテリゲンチャ(!)」に不満を持ったそうだ。
そこには、寺山修司氏なども入っていたというから、たまげる。
ともあれ、インターネットの登場は、解放的メディアの可能性を示した。
が、そこでさえ、抑圧的メディアの引用にあふれているのだった。
厭世的に考え、楽観的にやっていくしかないのは、半世紀以上経った今も、あはは、同じなんだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「そうだよなあ」】
友人から、メールが。
こうだ。
アメリカが例の世界恐慌の影響から完全に脱却できたのは、第二次世界大戦後だという(やっぱりね)。
拡大し続けなければいけない経済は、戦争を欲するのだろう。
GAFAが盛り上がる以前のアメリカの輸出産業は、(例のタコが爆買いした)武器しかなかった。
従って、定期的に在庫一掃棚卸のバーゲンセールが不可欠だった。
だから、彼の国はコンスタントにそれを実行したんだろうね。
人道に対する罪は、非西洋人には適用されないようだし、思い切って人体実験ができたわけだ。
かつては、ソ連、その後は中国、北朝鮮、ロシア、それぞれとの出来レースだったんだろうけど、
今回のプーちゃんは、何をトチ狂って、チョビ髭の轍を踏んでしまったのだろうか。
「ううむ」とうなっていた。
そうして、同感に旨を返信をしていた。
佳き日々を。