深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

諦めか/言葉・221

今日もこの画面から世界へ向かっていく。
言葉で。
言い残したことはないかどうか。
ないとは言えないが、あるとも言い切れない気もしているのは、どうしたわけか。
諦めもあるのだろうが、それではいけないな。

▲『原っぱ』(写真)
近隣の公園である。
原っぱだ。
昔、東京・世田谷の三軒茶屋にまだあった防空壕
そこで、焚き火をしたりして、遊んでいた。
そのことを、ふいに想い出していたのだったが。

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【愉しみを耕す=身心とともに=/今日も少しだけ】
 ここのところ、『愉しみを耕す』と題して、記してきた。
 結局、わたしの場合、身心にまつわることが多いのかと。
 分かっていたことだが、あらためて理解できたのだった。

 いわゆる敗北の後、“撤退戦として身心の領域へ”という人々が多くいたことは知っている。
 分かるが、わたしは鈍いので、敗北感というより、単に切実だっただけだ。

 確か、ギンズバークの詩歌に、「毛沢東ニクソンも同じ肉の船に乗っている」みたいなフレーズがあった。
 その肉の船を、漕ぐことが存外、難儀だったと痛感したのである。

 いずれにせよ、特に快適さだけを求めているわけではない。
 事実、太極拳にしろ、ヨーガにしろ、難儀な領域もあるのだから。
 難儀さを何とかしたくて、遭遇した難儀さみたいな^^。
 いやあ、厄介ではあるなと。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「いやはや」】
 怒り。
 できるだけ避けたい。
 肝臓を傷めるそうだ。

 が、そうとばかりは言っていられないのだろう。
 遠くなった国葬
 あらためて、「何故、あんな愚行をしたのだろう」と。

 事実が詳らかになればなるほど、後世の人々は、理解できないだろう。
 経済に外交もそうだが、何より国会での虚偽答弁。
 これでもかこれでもかと、続いた酷さ。

 山上砲で開示された宗教団体、いや、犯罪集団の保護・存続、あるいは活用なども含め、背景の権力への固執
 その病は、不治のものだったのだ。
「それで、国葬?」と。

 それでも、わたしたち、わたしは、暮らしていく。
 勝つ必要はないが、負けていいわけがないのだった。
 こうした想いが、いいわけはないのであるのだったが…。
 佳き今日を。