深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

幸い/死を想う・55

「結局」と。
結局、人生とは何かという問いについて、明確な答えが分からないうちに死んでいく――。
つまり、それが人生なのか。
一体全体どうなのだろう。
1つ言える、「人に必要とされたのなら幸いか」と。

▲『不気味な』(写真)
ウサギなのだろう。
心を込めて作った感じがあった。
「うっし、元気でな」

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【愉しみを耕す=なんちゃって瞑想②=/今日も少しだけ】
 なんちゃって瞑想の間のことだ。
 あれこれ脳内をよぎるものがある。
 それで、いいと想う。

 言葉のときがある。
 映像のときも。
 あるいは、その両方のときもあるのだった。
 そうしたことを、放置しておく。
 それでいいのだった。

 外界と身心には関係があるのだから、想念が浮かんできて、当然か。
 無理に消そうとは想わない。

 時間にして、数分か。
 ただ座っているのだった。

 終えたとき。
 少しずつ目覚めるような感覚で、身心を感じていく。
 後は、身体を軽く叩く。
 了となる。

 以上か。
 終えた後、何やら充実感がある。
 だから、「おっ、なかなか」と。

 かつて、禅寺で寝泊まりしていたことがある。
 食事も修行とのことから、お茶と沢庵で食器をきれいにしたか。
 つまりは、暮らし全般が、修行なのだと。

 修行というと堅苦しいが、わたしの場合は、なんちゃってなので、そこそこ愉しい。
 自らの汚泥を体感、終えたとき、スッキリしているときも。
 自然と、合掌をしている場合もあるのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「またしてみるか」】
 また、瞑想をする。
 今日も、この短い文章をアップしたら、してみようかと。
 佳き今日を。