正しさは、人間にはついに訪れないのだろう。
例えば、動物を、「美味しい」と言いつつ、喰らっている限り。
今も続くリンチもまた、おかしいなと。
人が人を傷つけたり、殺すだなんて。
気分は優れなくて当然。
※絶望の果てへ。
結果、笑うときもあるだろう。
笑えるときも、訪れるはずだ。
www.youtube.com【愉しみを耕す=なんちゃって瞑想①=/今日も少しだけ】
ときおり、想い出しては、することがある。
例えば、瞑想。
ただし、本格的にはしない。
素人が、指導者もいないですれば、野狐禅、要は、いってしまう可能性があるからなのだった。
身心を落ち着かせるどころではないのである。
だから、するのは、いわば、なんちゃって瞑想か。
テキトーにというわけである。
股関節が今より柔らかいころは、結跏趺坐でしていた。
途中から、半跏趺坐に。
仏壇仏具の専門店で、本格的な座布を購入。
その上に、どうにか座ってしていたのだった。
が、今は、からだがますます硬くなったので、椅子に座って行っている。
「ま、仕方ないか」と。
できるだけ締め付けない衣服で、ゆったりと座り、ただし背筋は伸ばし、軽く呼吸法を試す。
ほどなくして、目を閉じる。
そうして、なんちゃって瞑想へと入っていく。
まさに、入っていくという感覚か。
どうか、今日も、ご無事で。
(以下、明日へ続く)
【追記/「あらま」】
目覚めると昼前。
慌てて仏壇の水をかえ、線香を。
ベーコンエッグで軽く朝食をとって、あれこれを開始している。
佳き今日を。