誤嚥だったのだろうか。
一瞬、呼吸ができなくなった。
「やべっ」と束の間。
苦しいだけで、気持ちよくはならなかったので、「死ぬことはないな」とも、どこかで感じていた。
今日は久しぶりに呼吸法をするか。
【愉しみを耕す=呼吸法=/今日も少しだけ】
ヨーガの教室へ月1度程度、通う。
通うというほどの回数ではないが。
いずれにせよ、高齢者枠で、1回100円なのはありがたい。
毎週でも通いたいのだが、コロナ禍以降、ウェブでの抽選となってしまったので、仕方ない。
したい方は、多いのだろう。
教室の参加者の多くは、女性だ。
男には抵抗感もあるのだろうか。
わたしの場合、気にしている場合ではないのだったが^^。
さて、魅力的なのは、呼吸法もすることだ。
自律神経に直接的に働きかけられる方法とも言われている。
オウム真理教の事件のときだ。
呼吸法をしている映像をよく視た。
あれである。
わずかの時間だが、するとしないとでは、違う。
受験勉強ばかりしていた若者なら、カルチャーショックを受けて、入信しても不思議ではない。
身心の在り様が変化するのだから。
充実と、取り合えず考えている。
事実、終えたとき、身心は落ち着いているのだった。
最近の物言いで、「整う」と聴いたことがあるが、あれか?
日々、呼吸法だけでもとは、今でも目標か。
要は、遅く帰宅して、まずは1杯の身としては、なかなかに向かえないのだったが。
だから、休日、している。
公園で、自宅で、あるいはプールで。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
今日は久しぶりに友人たちに逢う。
愉しみである。
佳き今日を。