例えば釣り。
釣れない状態、要は待つときがポイントか。
釣れたとき、快を味わうためには。
今や待つことの、実は愉しみが失せていくばかり?
わしづかみで瞬時に、獲物を捕まえようとするケースが、急増中だ。
相変わらず寝そべっていたコンクリート。
今や夏。
草に包囲されていた。
www.youtube.com【「あれは何だろう?」/今日も少しだけ】
わしづかみで、瞬時に獲物を捕獲。
それはもう、事業であり、産業だろう。
愉しみには、向かない。
愉しみは個別的だし、身心に固有のものという感覚がある。
しかも、効率を考えても、緩さがあるのだった。
申しわけないことを言いたい。
カーリングの女性だ。
わたしとしては、追い詰められたのかと感じてしまった。
身体改造の前の、ふくよかな笑顔がいいよなと。
何故、報道する連中が、「素晴らしい」というのか、理解できない。
むしろ、怖いとさえ、感じていたのだったが。
趣味とはいえ、身心にいいことなのかどうかと疑っているのだった。
「無理しなくていいのに」と。
身心は、事業や産業とは遠いのではないのかと。
そう体感しているのだったが。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「いやあ、呑んだな」】
密かに、都会のオアシスと呼んでいる居酒屋がある。
金曜日夜。
コロナ禍以降、久しぶりに出向いた。
「美味いっ」
談論風発。
「いいよなあ」と。
学べるところが、何よりか。
佳き日々を。