何で読んだのだろう。
「監獄に月日は流れない」と。
自然災害や原発事故、新型コロナウイルス感染症等々、監獄の中にいるようなものか。
が、確実に、月日は流れていく。
長く立ち止まっていたのだとしてもだ。
言いたい、「才能なんて関係ないよ」と。
大切なのは好きになれることのほう。
巧い下手もまた、どうでもいいかなと。
呟きから叫びにいたるまで技巧を求めても仕方なし。
声を、もっともっと声をと願う、祈る。
"Watermelon In Easter Hay" 2015.8.28
one more time (Them cover) from リゾート(山口冨士夫&加部正義) live 1976(2CD)
何度も試して、できるようになっていく。
知っていく、分かっていくこともまた、同時に起きている。
たまたま、何となく、いや、望んで始めたことで。
夜、小型ナイフで、鉛筆を削っていたことを想い出していた。
Ray Davies dedicates "Waterloo Sunset" and "Days" to Pete Quaife at Glastonbury 2010
山。
「随分と訪ねていないな」と、コーヒーを飲み始めた。
眼をしばし閉じて、夢想すれば、土や岩、木々などの風景が視えて来る。
が、肝心なのは、そこではない。
空気だ、空気を感得できることにあるのだ。
組織間の差。
むしろ、組織内の差のほうが大きい場合があるとの指摘を読む。
政治ではよくあるようだ。
とはいえ、それで大丈夫のわけがない。
外交は今も内交のまま、わたしたちは放置されたままなのであるが。
無闇と煽って来るではないか。
あれをしろ、これをしろ、それもしろと。
心底、急きたてて来るのだった。
できることは、まず遠い景色を眺め、深呼吸をすること。
事態は変わらないままで、半歩ずつでも歩き出す。
何も学ばず、ここまで来てしまった。
いろいろと教えてもらったのだが。
勝手に知り、今にいる。
何も教えられないで、教えもせず不満?
知るべきを知って、歩むことを願い続けていることだけは、確かなようだ。
年若い友人に伝えた。
「贅沢だなあ」と。
彼は、いくつもの散歩コースを持っているのだ。
体調や気分、予定などによって、歩くコースを変えているという。
日本の大金持ちでは、散歩コースをいくつも作れない。
苦労人は人を大切にする?
一般化はできない。
苦労人を切って捨てるのは、自分を視たくないからという場合も。
お坊ちゃんの苦労知らずが、正確な判断をする場合もある。
が、そうでないケースは増える一方か。