生きがいなど、関係ない。
ただ、生きていることだけが、愉しみであり悦び。
そうであって悪かろうはずがない。
いや、むしろ、肯定したいほどだ。
高齢者への脅しに近いというか、脅しそのものが跋扈する折に。
生きがいなど、関係ない。
ただ、生きていることだけが、愉しみであり悦び。
そうであって悪かろうはずがない。
いや、むしろ、肯定したいほどだ。
高齢者への脅しに近いというか、脅しそのものが跋扈する折に。
極楽とは何処にある?
あの世でないことは確かだ。
幻想は身の毒と、簡単に考えればいいだけである。
毎日安心して、その日暮らしができる場所にこそあると想っているのだった。
つまり、なかなかないのである。
自然は壊れる。
そうした自然を創った自然とは何か?
自然は壊れて創り、壊れる中で創り、創る中でも壊れる。
人もまた、日々生きて死んで、生の中に死があり、死の中に生も。
さて、お茶の中の宇宙を味わうか。
ふと、命の安寧について想う。
「肩こりさえ感じられないほど肩がこっていたのでは、いただけないな」
ひょいと路地から出て来たオヤジが突然、立ち止まる。
花の匂いを嗅ぐために。
「へえっ、やるじゃないか」
恥をかく。
成長の何よりの栄養源という。
確かに、そうなのだったが、無論、真逆のこともある。
あの一味によって、自分で自分を裏切り、結果、自死した方も。
「冗談じゃねえよな」と、騙しだまし、何とかね。
今も愛が何か知らない。
ただ、求められる感覚は悪くない。
肯定され、ついに役に立つ。
賃労働の現場でも可能だからといって、淫することは勧めない。
待っているのは、愛でないとは何故か知っているのだった。
過ちを認めないことこそ、まずの過ち。
そう、あの一味に言いたい。
言いつくろい粉飾する手合いたち、そうして媚びへつらい連なる者たち。
何も考えないのはいいが、巻き添えはご免だ。
記しておくことにする。
腰の曲がった婆さんが、スタスタと歩いていく。
「見事だな」
とはいえ、ときおり、立ち止まるのだった。
よくよくうかがえば、足もとの花を視るために。
そうして、嗅ぐために背骨を叩き、腰を少しは伸ばして。
正義の怖さ。
そも、柄じゃあない。
にも関わらず、振りかざしたくなる衝動が。
相変わらずの想定外なのか?
想定内にしなくてどうするのかと。
森羅万象、何が起きてもおかしくはないからこそ、大切な暮らし。
まず分ける、分かるために。
問題はどう分けるかにあるのだろう。
中には足りているから足りないことも。
「難しいな」
そも、分けることがいいとは限らない上に、分けられないこともあるのだもの、どすこいっ!