不機嫌。
消費者は文句を言い、惹きつけようとする。
今の社会を肯定しているだけに、実は鈍いのだ。
だからといって、この時勢、機嫌がいいだけでは治まらない。
釣り合いをとるために、表情を失うのもどうか。
※文句を言い、立場を優位にする――。
ときと場合によっては、大切なことなのだったが…。
www.youtube.com【またしても忘れていた/今日も少しだけ】
マンガを読んでいた。
次の一文に出逢う。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
宮沢賢治氏の『注文の多い料理店』の序である。
大正12年に書かれたそうだ。
かつて読んだ記憶だけはあるが、やはりすっかり忘れていた。
それにしても、宮沢賢治とすぐに分かる文章ではある。
いわゆる清貧の思想は、とても大切だとは想う。
が、為政者に利用されないことを切に望んでいる。
「欲しがりません、勝つまでは」の風潮が、今もないとは言えないからだ。
ちなみに、宮沢賢治氏は、ちょっと分からないところがある。
存外、狂信的な領域もあり、「それが怖い」と指摘している文章を読んだ記憶もあるのだった。
それにしても、序を読み、愉しく圧倒された次第である。
かつて読んでいた『春と修羅』の前に、他のところから、あらためて読み出してみようかと。
情報社会で、じっくりと読める活字を求めている折の再会だった。
それにしても、読ませるな。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
不調が続く。
「老人ってわけか」
が、何とかね。
何とか、歩いていく。
佳き日々を。